「護持院原の敵討」の感想
護持院原の敵討
ごじいんがはらのかたきうち
初出:「ホトトギス」1913(大正2)年10月

森鴎外

分量:約65
書き出し:播磨国《はりまのくに》飾東郡《しきとうごおり》姫路《ひめじ》の城主酒井|雅楽頭忠実《うたのかみただみつ》の上邸《かみやしき》は、江戸城の大手向左角にあった。そこの金部屋《かねべや》には、いつも侍《さむらい》が二人ずつ泊ることになっていた。然《しか》るに天保《てんぽう》四年|癸《みずのと》巳《み》の歳《とし》十二月二十六日の卯《う》の刻|過《すぎ》の事である。当年五十五歳になる、大金奉行《おおかねぶ...
更新日: 2015/08/09
3e9c4b240bacさんの感想

題目の通り、仇討ちの話。 暴漢によって父を殺害された武家の一家が、敵である下手人の行方を追って、日本全国ほうぼう歩き回る。 手がかりはほぼないに等しく、普通に考えれば無謀極まりない旅である。尋常ならざる苦労と歳月を費やす。時に炉銀が尽き果て ものごいまがいのことをし、時に病に倒れ、そしてとうとう、果てのない(かのように思われた)旅を息子は諦め敵討ちを断念してしまう。それでも諦めることなく敵を追い続けた叔父と付き人は、数年かけて、どうやら敵が江戸(犯行現場の近く)に戻っていることを突き止める。そしてとうとう下手人を取り押さえ、見事にかたきをとったのだった。 という内容。 なんか、あらすじを書いてしまうと平凡な感じになっちゃうんですが、読んでる間はけっこうわくわくしてました。 敵討ちは成功するの?しないの?どっち?!みたいな。 作中、息子君(宇兵)は旅に疲れてドロップアウトしちゃうのですが、このときの彼さぞや内心葛藤したでしょうね(そのへんの描写が、淡々としててあまり無いので、逆に推察するのが楽しくなるんですが)。でも、息子君は意思薄弱者でもなんでもなく、極めて普通というか賢明な判断をしたと思いますよ!というかむしろ、常人よりはるかに堅固な意思をもって長旅に耐えてきたと思いますよ! むしろボロボロな状態で、なお旅を強行した叔父のほうが、ファナティックつーかちょっと狂気感じましたね~ で、結局、下手人を斬ったのは娘(りよ)ちゃんと叔父さんと付き人の三人で、それぞれその功労を讃えられ褒賞まで貰ったわけですが、小説には「宇兵のその後」が一切、書かれてないよね。これってどうなの?この物語は、艱難辛苦に耐えて大願を成就させた家族と、一方で、努力したが報われず表舞台から姿を消してしまった宇兵の、ふたつの対比がシビアな物語でもあるんだな、、と思いましたね。