「女体」の感想
女体
にょたい
初出:「帝国文学」1917(大正6)年10月

芥川竜之介

分量:約3
書き出し:楊某《ようぼう》と云う支那人が、ある夏の夜、あまり蒸暑いのに眼がさめて、頬杖をつきながら腹んばいになって、とりとめのない妄想《もうぞう》に耽っていると、ふと一匹の虱《しらみ》が寝床の縁《ふち》を這っているのに気がついた。部屋の中にともした、うす暗い灯《ひ》の光で、虱は小さな背中を銀の粉《こな》のように光らせながら、隣に寝ている細君の肩を目がけて、もずもず這って行くらしい。細君は、裸のまま、さっきか...
更新日: 2024/03/15
067d56104a71さんの感想

視点を変えた時の、モノの美しさ。 芥川はつくづく芸術の人だなあと思う。 ふとモノの真意や美しさに気がつくという体験は、誰しもある。

更新日: 2022/12/14
2c89fde77500さんの感想

短い文章の中で すぐ側にあるものでも、視点を変えると新しい発見があるということを伝えてくれる作品。また、女体の美しさや艶めかしさが上品に表現されていると思う。

更新日: 2022/10/15
鍋焼きうどんさんの感想

虱に人の心があればこそ女体が驚嘆の対象となる。この話はものの観察の参考になる。想像力も鍛えられる。

更新日: 2021/05/01
19双之川喜41さんの感想

 「部分は、中に火気を蔵しているかと思うほど、うす赤い柘榴の実の形を造っている」 「芸術の士にとって、虱の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない。」 乳頭開眼。

更新日: 2017/09/08
1e7bd5f4f964さんの感想

主人公は大きく見える自分の妻の肉体を見て感動した。しかし、それは芸術的な視点ではないと作者は言う。作者が小さくなったら、どんなことを感じたのだろうか。

更新日: 2016/08/27
芦屋のまーちゃんさんの感想

所謂、"変身物語"である。 ハエでなく虱である。 細君の体を虱になって眺める。 虱になって、その美しさに初めて気づく。 しかし、本来は逆ではないか? 富士山の美しさは遠くからこそわかる。登山者の見る景色は近くの山々であり富士山自体ではない。 妻の体を登っている虱から夫の容姿はどう写るのか?