遅れて生まれてきた僕たちが、むかしの作家のことを知るためには、手続として、どうしても倒錯した認識によるしかないと思う。 芥川龍之介や有島武郎は、まずはその「自死」を前提にして、その生涯をたどることは避け得ない。 「こんなふうに活躍しても、この人はやがて絶望して死ぬのだ」と思いながら作品を読み、生涯をたどる。 有島武郎の場合なら、この「農場開放顛末」や「小作人への告別」は、やがて決行すべき自死を前提としたある種、死の予告のように読まれてしまう虞れのあり得ることを危惧している。 彼は、まぎれもなく、小作人たち自身による共生的自治を信じて、すべての農場の権利を彼らに譲り渡した。 当初はそれを「共産」と名付け掛けたくらいの甘甘な錯乱に囚われていた。 凶作のリスクを払拭できないまま小作人へ農場の権利を譲渡することは、無責任でさえあったかもしれない。まだしも善良な「不在地主さま」のみで居続けることができなかったのだろうか、と妄想したこともあるが、多分、難しかったのだろう。 有島の死の数年後に小林多喜二は、「不在地主」を書く。農民を搾取してテラテラと肥え太る悪辣な不在地主の物語だ。 労働争議がブームのように盛り上がり、日本の労働者は、「革命」をロマンチックなものとして夢見た。 その頃、スターリンは、自らの権力を守るために、自国民の大量虐殺に取り掛かっていた。そして、この社会主義という「共生のシステム」の誤りを正すために人類は、100年を要したというのに、その教訓を生かすことなく、ウイグルやチベット、そして、ウクライナや中国の民衆の生命を狂気の独裁者の手にゆだね、危険にさらしている。 愚劣な話だ。
直情径行の人で あることは 良く判る。 小作料を 免れることと 生活が向上することとは 関係無い。 生活保護を受けつつ 酒▫煙草▫勝負事▫過度の肥満の どつぼに はまるような 同情が仇となり 恥ずかし気もない 税金泥棒に 追い銭とは なったかもしれないと感じた。