我々が普段一般に感じる素朴でありふれた、それ故に特に話題にあげるまでもない出来事や感情を、美しく明朗に書き上げる芥川の技量に心打たれる。 『時たまプラットフォオムにお嬢さんの姿を見ないことがあると、何か失望に似たものを感じた。何か失望に似たものを、――それさえ痛切には感じた訣ではない。』 というフラットな関係が、たった一度のお辞儀によって僅かな変化を与え、次にお辞儀をしないという一瞬の判断によって、その後二度とお辞儀をしたり、やり取りをしたりすることは無くなったのだろうなと思わされる。そしてその後には 『ただ保吉の覚えているのは、いつか彼を襲い出した、薄明るい憂鬱ばかりである。』 と続く。 世に出回っている恋愛小説に比べると、劇的さにもかけるし、恋愛と言っていいのかと言うくらいの些細な内容だが、自分には何か言葉にできない「良さ」を感じた。芥川ならこの「良さ」も名作として昇華してしまうのだろう。
通勤列車で よく見掛ける娘に 何気無く お辞儀を してしまう。 意志が自由でない反射的な事なので 責任を取らなくてよいと らちもないことを 思う。 保吉の動揺が 濱辺の描写と共に 描かれる。
大正時代の若者は、今から比較すると、随分純情と言うか。そのういういしさが新鮮で、印象に残った。