「映画と癩の問題」の感想
映画と癩の問題
えいがとらいのもんだい
初出:「映画評論」1941(昭和16)年5月号

伊丹万作

分量:約12
書き出し:数年来、映画をまったく見ていない私は、作品としての映画を批評する資格を持たない。したがって私は、映画「小島の春」を批評することはできないが、癩というものが、あのような仕方で映画にされ、あのような方法で興行されたという事実に対してはいまだに深い疑問をいだいている。そしてこの疑問はいまだに疑問のままで心の隅にわだかまっており容易に解けようとしない。そこで次にほぼ疑問の形においてこれらの問題を提出してお...
更新日: 2022/02/06
cdd6f53e9284さんの感想

これは、脚本家、伊丹万作の「小島の春」というハンセン病を扱った映画についての感想、というか、ハンセン病についての驚くべき偏見に満ちた所感である。 読んでみて、そこに表明されている謂れのない過剰な恐怖心とあからさまな差別の感覚には驚いた。 戦前から、つい最近に至るまでの国策としてのハンセン病患者に対する非人道的な強制隔離を伴う過剰な恐怖政策が、こうした庶民の差別意識に支えられて続けられてきたのかと思うと、たまらなく胸が苦しくなる。聞くところによれば、すべての入院患者には断種がほどこされたくらいだから、「間違って」産まれてきてしまった赤ちゃんは、人知れず闇に葬られたに違いない。断種に使った植木ハサミというのも見たことがある。信じられない愚劣な話だ。 確か、「砂の器」という映画もハンセン病を扱った作品だったと記憶している。