「或日の大石内蔵助」の感想
或日の大石内蔵助
あるひのおおいしくらのすけ
初出:「中央公論」1917(大正6)年9月

芥川竜之介

分量:約26
書き出し:立てきった障子《しょうじ》にはうららかな日の光がさして、嵯峨《さが》たる老木の梅の影が、何間《なんげん》かの明《あかる》みを、右の端から左の端まで画の如く鮮《あざやか》に領している。元|浅野内匠頭《あさのたくみのかみ》家来、当時|細川家《ほそかわけ》に御預り中の大石内蔵助良雄《おおいしくらのすけよしかつ》は、その障子を後《うしろ》にして、端然と膝を重ねたまま、さっきから書見に余念がない。書物は恐ら...
更新日: 2022/02/23
19双之川喜41さんの感想

 大石は 道徳を体現した満足をも 味わった。 脱落藩士 茶屋遊び いくつかの心残りはある。 テロリストは ためらいなく 宗教的な確信に基づき 虐殺を決行する。 共通点を 完全に否定するのは 難しいかもしれないと感じた。

更新日: 2017/02/05
870383b32e6aさんの感想

主君の仇討ちを果たして、細川家の預かりになっている大石内蔵助が、自身の行動の影響、途中で脱落した元同志たちへの酷評、決起前の自身の行動に対する世間の誤解に触れ、自分のなし得たことに対する満足感が減じてくるのを感じるという話だ。芥川の作家として、自分が発表した作品が自分の思いも寄らない評価を受ける時の心もちを現したと感じるのは穿ち過ぎかな?