芥川の遺稿はいくつかあるが、これはだいぶ理性的に書いている作の一つ。たった十のアフォリズムを束ねたに過ぎないけれど、それだけいっそう芥川の切実な、晩年に及んでなお手放せなかった思考に満ちている。ここで述べられるアフォリズムは様々な作品のモチーフとして、または別の形のアフォリズムとして出てくるだろう。 1…何事も分析的に、つまり奥へ奥へと思考を進める人間は不幸である。美しい薔薇も解体してしまえばつまらぬ草花、美しい人間も解体してしまえばつまらぬ肉骨、美しい芸術も…芥川の思考はそうして何に対しても厭気をもたらしたことだろう。 6…地上にいながらにして天国にいられる、つまり幸福でいられるのは、思考を諦めた人間と犬のように何も思考をしない人間。自身の解剖的思考から離れたいが、しかし白痴のように生きることは彼にはもうできなかった。 10…結局文学作品は、自身と同じ思考を持っているものにしか理解できない。晩年芥川は様々なアフォリズムでこの考えを表明している。他人に理解されない経験が彼をうんざりさせただろうが、あるいは同時に流行りの作品の良さなども彼に分からないことがあったのかもしれない。
わからないけどわかった、みたいな感覚 何となくこうかな?と思うけどそれを言葉にして理解に繋げるのが難しい...これは各々で答えが変わりそう というか答えがあるのかしら?
芥川龍之介らしからぬ哲学的散文。こういうの書く人だと思わなかったからとても意外だったけど、遺稿作品だと知って変に納得した。 やや悲観的で皮肉っぽく論理的だけど詩的で、読む人を選ぶ作品だとは思う。
示唆に満ちている。第二ではないため少しの理解に似た妄想かもしれないけれど。
まったく分からなかった
よく理解できませんでした。結局、人は人の言った事は完全には理解され得ない、しかし本人は全く理解したと思っている。先に言った人はそれは違うと思っているのに!ということでしょうか?
公園を歩いて、そこに植わっている花や木の名前を知らない自分が情けなくなる。知識のある人には、私と同じ世界がどう見えているのだろうと思う。 解剖的に見るのは苦しいのだろう。でもおれはそうありたいと思う。
よく、わからん
幾度か出てくる「薔薇」。触れようとすれば、棘という無数の「針」が刺す。見るだけならば無害である。しかし触れてしまう。ケガを承知で。何故?真理を知るために?見るだけで良いのだろうか。と。考えざるを得ない人々。傷付くことを知りながら、真理に触れたいと願う。愚かな人々。彼もまた、無数の「針」に刺され。しかし刺されざるを得なかった。誰よりも賢く、愚かだったから。
2+2=4の+に無数の因子が含まれている。なにかを繋げるために様々なことがあったはずだが、結果的に「+」で起こった出来事はなかったことになっている。ニュースで見る内容は「=」のあとの話ばかり。本当の苦労は見えない。
遺稿とあるので、自殺直前の作品か、そう見ると、精神状態がなんとなくわかるような気がする。
注射針は 人に 些かの 効用を もたらすことがあるのは 衆知のことであろう。 また 小鍼は 血管に入り込むと 心臓に至り 絶命する事は あるらしい。 この箴言は 難解ではあるけど 人生の決算書とも 思えてしまう。
妻に朗読してきかせました。 もう一回二回くらい聞かせてくれればわかるかもしれない。何となくいいこと言ってるような気がする。 だそうです。
最良
「人はいろいろなものの奴隷だ」に頷けた。 普段本を読まない人は「難しそう…?」と思うけど、そこまで難しくなかった。噛み砕いて何かをここまで唱えてる感じがして分かりやすかった。
一 阿呆は幸せ。
鋭いまるで針のように心に刺さる啓蒙作品。
解釈してみました。 1、一行目の「ある人々」とは研究者や、哲学者など、何かについて知ろうと学んだり、研究するような人ではないでしょうか。もしくは天才の類。そして追求しすぎるがために幸福が減る。 「ただ直感する人」とは、大多数の凡人で真面目さ(普通さ)を持つと同時に欲のままに時を費やす、かな。 2、よく分からないですが、「祖先」が、遺伝的なもの(才能)や身分的なもの(この時代だと考えられる)を指しているのかな…と。単純に作者自身の思想かもしれませんが。 3、そのままの意味。 4、さっぱり分かりません…。 5、2 と 2 が 4 になるには、その間にある+になんらかの原因があると考えられる。すなわち――――――(作中の文)。 6、ここで言う天国とは、 「茨の中」に咲いたバラの花 「絶望」を受け入れた人々から、暗い意味だと思われる。 その天国を従順な犬(恐らく人の比喩だとおもうが)が歩いている(生きている)。 7、懺悔に対する皮肉では。 8、そのままの意味だと。 欲を追い求める人ほど金銭面などで豊かであるが、欲自体に支配されている。満足出来ない悲しみが他人と溝(壁)をつくっている。 9、音としては聞こえている。周りの人々に聞く意志があるかどうか。 「後代のマイクロフォン」は、時代が早すぎたがために今は理解されないが、後の世(未来)では理解されるだろうとの推測…と解釈しました。 10、第二の彼にしか伝わらないというのは、逆に伝わった人が第二の彼(後の世の彼)ということ。(例えるなら現代の○○みたいな。) しかしながら、その第二の彼というのも分かったように信じているだけかもしれない…のかな。 以上です。 私には、作者が見つけたのこの世の仕組みとか、不満とか。そういうのを書き綴った作品のように感じました。
ボオドレエル、悪の華 「ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である」 (24)
なぜ十本なのか なぜ針なのか 金言、10本ということであろう 受け手によるが 本当のことが述べられていると考えられる