「六の宮の姫君」の感想
六の宮の姫君
ろくのみやのひめぎみ
初出:「表現」1922(大正11)年8月

芥川竜之介

分量:約17
書き出し:一六の宮の姫君の父は、古い宮腹《みやばら》の生れだつた。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質《むかしかたぎ》の人だつたから、官も兵部大輔《ひやうぶのたいふ》より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母《ちちはは》と一しよに、六の宮のほとりにある、木高《こだか》い屋形《やかた》に住まつてゐた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠《よ》つたのだつた。父母は姫君を寵愛《ちようあい》した。しかしやはり昔風に、進ん...
更新日: 2022/05/19
cdd6f53e9284さんの感想

たまたま紙の本で菊池寛の小説を探していたら、「六宮姫君」を見つけた。 芥川龍之介の小説「六の宮の姫君」と同じ素材で書いた同名タイトルだ、こりゃあ面白そうだ、比較ができるじゃないかと楽しみながら読み始めた。 菊池寛の小説を読むと、逆に、芥川龍之介の作品に込めた狙いがよく見えてくる。 芥川の六の宮の姫は、自分に近づいてくる男に対して、最初からそれほどの想いを抱いているわけではない、 どう見ても生活を安定させるために、男に身を任せた感じだ。 自分から進んで積極的に人を好きになったり、希望を抱いたり、恨んだり、絶望したりする感情が、ことごとく欠落しているように見える。 その死の間際にあっても、神仏にすがることを拒んでいるし、まるで、悩める現代人のような感じがする。 それに引き換え、菊池寛の六宮姫は、実に単純明白、互いに思い合う相思相愛で、離れ離れになっても慕い合う気持ちはかわらない。 運命の悪戯で二人の仲は阻まれ、やっと逢えた時は、まさに衰弱した彼女が息を引き取る断末魔の瞬間、二人はひしと抱き合って、彼の腕の中でこと切れる。 男は、彼女の菩提を弔うために僧になって巡礼の旅にでる。 やはり、菊池寛の小説の方に軍配を挙げたいと思って青空文庫を探したのだが、残念ながら未収録作品だったので、芥川龍之介の欄を借りた次第、あしからず。 それにしても、菊池寛作品の数が、まだまだ少なすぎるように思う。

更新日: 2020/12/02
19双之川喜41さんの感想

 前半に 伏線がある。 「悲しみも知ら(少)ないと同時に、喜びも知ら(少)ない生涯だった。」 で 後半で 「極楽も地獄も知らぬ女の魂」となる。 如何に 上人に念じておやりと言われても 共に  暗嘆たる気持ちに沈む。 芥川が 天才と言われる 所以であろう。

更新日: 2015/04/13
bbdc1144e6e2さんの感想

哀れな姫君の心境が伝わってくる作品だった。 最後がすごく哀しい((T_T))。死んでもなお成仏できずに漂う姫君の魂…内記の上人が言った「あれは地獄も極楽も知らぬ不甲斐ない女の魂でござる。念仏を念じてやりなされ。」という言葉がグッと来た。

更新日: 2015/03/19
7e236ad5847eさんの感想

山岸凉子「朱雀門」(まんが)を読んでこの作品を知りました。面白かったです。