「影を踏まれた女」の感想
影を踏まれた女
かげをふまれたおんな

近代異妖編

きんだいいようへん初出:「講談倶楽部」1925(大正14年)9月号

岡本綺堂

分量:約33
書き出し:一Y君は語る。先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。影を踏むといふ子供遊びは今は流行《はや》らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さゝうなものであるが、これは秋の夜にかぎられてゐるやうであつた。秋の月があざやかに冴《さ》え渡つて、地に敷く夜露が白く光つてゐる宵々に、町の子供たちは...
更新日: 2020/09/22
19双之川喜41さんの感想

 大いなる幻影 を 畏怖する 心の 意味を 探り出すことは  あながち 無駄とも思わないけど 綺堂の学識の背景には 民俗学▫迷信などが隠し味として仕込まれているように感じた。 その辺りが 文章の魅力に繋がると  思われる。

更新日: 2018/12/08
b25b0bd2dcfbさんの感想

影踏み遊びをする子どもたちのいたずらに遭って以来気を病み己の影を恐れるようになった娘。ついには十三夜の月の美しい晩、許婚は女の影に骸骨を見る。 あっさりとした語り口であまり怖くは無い。それはそうと怪談や昔話の類はやはりこれこれこんな話がある、という構成が一番だなあと思う。口承の再生産。

更新日: 2016/04/10
芦屋のまーちゃんさんの感想

シャミッソーの「影をなくした男」を思い出した。影が無いことで起こるエピソードだったと記憶するが、本題は逆で影があることで、その影を踏まれたくないと願う女の話。影を踏まれると寿命が縮まる、という迷信故。古今東西、‘影’というものは不思議な存在なのだと思う。女の影は骸骨にされてしまう。影踏み遊びの子供達に踏まれることはなくなるが、恋人も逃げ出し、ついには侍に切られてしまう。 影とは何か?私は影を「現実」と定義したい。独歩の「牛肉と馬鈴薯」ではないが、理想を求めれば必ず現実がついてくる。そう影のようにね。日常生活では、意識しない存在。現実逃避。夜の闇に逃げるのだ!