「学生時代」の感想
学生時代
がくせいじだい
初出:「中學文藝」1906(明治39)年6月臨時増刊

幸田露伴

分量:約7
書き出し:わたくしの学生時代の談話をしろと仰《おっし》ゃっても別にこれと云って申上げるようなことは何もございません。特《こと》にわたくしは所謂学生生活を仕た歳月が甚だ少くて、むしろ学生生活を為《せ》ずに過して仕舞ったと云っても宜い位ですから、自分の昔話をして今の学生諸君に御聞かせ申そうというような事は、実際ほとんど無いと云ってもよいのです。ですから平に御断りを致します。何処ぞの学校の寄宿舎にでも居ったとか何...
更新日: 2024/04/30
19双之川喜41さんの感想

 露伴には 正規の教育を 受けた形跡はなく 寺子屋のような 私塾で 学んだという。自習ばかりだと 一人合点に なりがちなので ときに 輪講と称して 各自で 講じた後で 議論を 戦わしたりしたようだ。置かれた環境で 最善を尽くした 露伴には 頭が下がると感じた。

更新日: 2022/03/13
3afe7923d6ecさんの感想

明治維新前後、開国に踏み切った日本の指導者たちは、欧米列強の強大な軍事力と、進んだ文化を目の当たりにし、それに比べて日本があまりにも立ち遅れている現状を憂い、列強にひけを取らない早期の国家建設の必要性を痛感する。 そこで欧米から多くの学者、高度な技術を有した技術者、教育者を多数、招聘した。 政府の招きに応じて来日した雇われ外国人たちが、まず日本に来て驚いたことというのが、識字率の高さと、素早く正確な計算能力だった。 そこで、この寺子屋の話が出てくるわけだが、この幸田露伴の「学生時代」を読んで驚いた。 入学(あるいは入門とか入塾)は、申告すれば誰でも入ることができるが、入ったからといって、そこで手取り足取り懇切丁寧に教えてくれるわけではない。 まず、生徒の自主性が重んじられ、指導に当たる先生は、せいぜい、その生徒にふさわしい本をアドバイスするくらいだと書いてある。 生徒は与えられた教材を読み込み、どうしても「分からない箇所」に出会うと、出来るだけ自分で解決するべく努力した後に、さらに理解できなければ、初めて先生に質問する。 まさに「無知の知」だ。 確か論語にも、学んで習わざればすなわち云々とかあったはず、あれだな。 この自主的な向学心と、求められるのを待って初めて「その疑問」に答える、これって、まさに教育の理想じゃないかと感心した。 雇われ外国人教師たちも、これには驚いたはずだ。 そこで、教育の制度としての確立と普及が、国を起こす要提だというこの日本の教育制度をモデルにして、世界の後進国がまねてみた、しかし、日本のようには、どうしてもうまくいかなかった。 ひとつには、高等教育を受けた者が、その知識を自国の発展のために使うのではなく、金儲けのできる先進国に流出してしまったこと、 もうひとつは、教育の普及が、必ずしも高潔な人格形成につながるわけではない、ということが明らかになったからだ。 世界は、日本のことも、そして日本の教育も誤解していたことを悟った、教育の普及が、高潔な人格をつくるのではなく、高い向学心と高潔な民族性が、自然発生的に学びの場を生み出したのだと。 それが、「寺子屋」だ。 この幸田露伴の「学生時代」は、そのことを僕たちに教えてくれている。 東京帝国大学で英文科の教授をしていた小泉八雲は、学生たちに、読むべき本を具体的に示しているのだが、その前に選択の基準を明示している。 ひとつは、「時の試練に耐えてきた本」 そして、もうひとつは、「二度、ないしはそれ以上読みたくなった本」と限定しつつ、以下の書籍を上げている。 ゲーテの短編(念頭には、ヴィルヘルム·マイスター修行時代中のミニオンの物語や遍歴時代の新しいメルジーネがあったらしい) 聖書のヨブ記 ロンゴスのダフニスとクロエー アベ·プレヴォーのマノン·レスコー アンデルセン童話(とりわけ 可愛い人形姫) ギリシャ神話(英語版キートリーの古代ギリシャとイタリアの神話) ホメーロスのオデュッセイア ギリシャ悲劇のソフォクレス、アイスキュロス、エウリピデス、 ギリシャ喜劇のアリストファネス 田園詩のテオクリトス ラテン文学のヴェルギリウスのアエネーイス アプレイウスの黄金のろば 北欧神話のサガとエッダ(マレ「古代北方の文物」) 原語で読むべき近代文学として ゲーテのファウスト ハイネの詩 ダンテ モリエール マロリーのアーサー王の死 シェイクスピア 欽定訳聖書 (by ハーンの読書論)

更新日: 2018/02/23
國見竜平さんの感想

学生時代と言うよりもむしろ、私塾の話だった気がします。教育のあり方が語られるけども、結構競争的な教育が印象的で現代の相対評価とは異なりますね。