時代は変わる。人も変わる。そして、愛さえも変わる。けれど、人はなお、過去にしがみつこうとする。なぜなら、過去こそがその人のすべてだからだ。
自分語り多いね そして、自分の肉親の家族のことを良く書きすぎでは?? 太宰治ではなく、他の人が書いたのを拝借したと言われても納得いく感じがする。 強い女性というのか? 犠牲のうえにたった一つの希望というのか? なんか自分の生き方は素晴らしいと自画自賛してる気がするね。 この本には原作の日記があるけど、そのために作者である太宰治が第三者から書かれているのが面白い。 太宰治を理解したい人にはいいと思う。 前半と後半でかなりスピード感が違う 後半だけでいいのではと思うけど、 良く考えると後半は男性が勝手に押し付けている強い女性というものが書かれてるような気がする 愛した女性へのエールなのかもなぁと感じた。 もしかしてラブレターの一つなのかも。 小栗旬さんの映画をみるとなんか背景がわかりやすいからオススメかも
なんかよく分からんなあ
不治の病を告げられて、読んだ小説。何も知らずに読みきって結末に驚いた、女性は強いと、ま、小説だけど。
映画「人間失格 大宰府と3人の女たち」を見てから読んだのですが、面白かった。当時の女性たちにとってはセンセーショナルな内容だったんだと思います。
ペンに酔ってる雰囲気がある。
死ぬしかない話。とても疲れた。つまらない内容だったな。
結構難解かな?謎描写が多いです(私がわからないだけかも)。著者の道化味を感じちゃう。
翳りゆく陽の光の中で、退廃的にいきる人々。そこには元貴族という曖昧な誇りとデカダンスな欲望と絶望が滓のように沈む。 主人公の女性がその中で、次第に力強さを持って、その生に対していく。
志賀直哉がこきおろしたように、確かにへんてこな文章だ。冒頭からそのへんてこさ満載で、例えば「お母さま」「お勝手」はまだしも「お顔」「お口」「お唇」と続く。作者のもっとも嫌う筈の成金趣味の偽貴族の下美た上品さ。当然作者もそれには気づいていたろうし、出来るならエレガントな表現にしたかった筈。しかし、作者の文体ではこうならざるを得ず、それがこの小説の唯一の欠点。この欠点を指摘された作者は赤面逆上し、志賀に対して暴言の数々を放つ。 この小説は私小説ではないが私小説以上に私小説的である。ヒロインを孕ませる男も、過剰な自意識に弄ばれる弟も、そしてナイーブで世間知らずのヒロインも作者そのものである。この小説が読者の心を揺り動かすとしたら、その要因の多くはこの作品と密接にリンクする作者の実生活によっている。読者は作者の実生活のスキャンダル性乃至ゴシップ性のあまりの大きさにショックを受けるのだ。この作者が駆け出しの頃、芥川賞選考委員であった川端康成に「作者目下の生活に厭な雲ありて」と揶揄されるが(その時もこの作者は川端に噛みついている! 「私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。(中略)刺す。そうも思った。大悪党だと思った。)、この作者にとって生きることは小説を書く行為そのものである。厭な雲のある生活を小説によって高尚な作品に仕上げようとするのが太宰という小説家なのである。 「恋と革命」のためにヒロインはひとりで強く生き抜く。対して男は別に愛人を作って玉川上水に入水する。この見事なまでのコントラスト。あなたはどちらの生き方に魅力を感じますか?
優雅な上流生活と一途な恋の、喪失を描いた作品という意味で、「風と共に去りぬ」を彷彿とさせられた。 社会が激変する中で、適応出来ない者は死に、強い者は生き残る。 主人公は、恋する人の子を得た事で、生きる力と希望を得た。 ラストの意味がわからないという感想があったが、子供を身ごもった日に弟が死んだ事で、主人公は生まれて来る子が弟の生まれ変わりのように感じて、弟が恋い焦がれていた人に抱かせたいと考えたのではないでしょうか。 弟の遺書に、「画家の奥様」と書かれていたのは、明らかに上原の奥様でしょう。
エモいだけじゃ収まらない。
前半は正直ダラダラと読んでいて、貴族が少しずつ堕ちていく様子が印象的でしたが、最終章で伏線が全て回収されていくようで面白かったです。
貴族と平民の身分差、環境の違い。 適応できなければ、堕ちていくしかない。 死への逃避や、欲望への執着。 誰にでも起こりうる転落劇に、いつ自分の番が来るのか、恐怖を感じてしまう話だった。
かずこのお母様がとっても愛らしいく、息子と娘を思う気持ちがしっとりと描かれているところがとても魅力的でした。 登場人物の理由のない辛さや寂しさに共感しながらよむことができるお話です。
丁度半分位まで読んで無理。 始まりはどこかの貴族の親子が呑気に過ごしていてそれに惹かれて読み進めたけども2章からとんでもない速さで1章で感じられた品性が根こそぎ剥げていって3章になるともう元貴族とか言う肩書きすら感じられないその辺に住んでそうな普通のおばさんの話になっててそういう小説だって分かってても読むのが辛くなった。それでも1章は親は憧れで何を考え生きているのか知りたいと言う娘の目線からでしか得られない感情とそれを表現する繊細な言葉選びは男女関係無く殆どの人が共感出来る箇所なんじゃないかと思いましたし、それでいて掴めそうになった親の気持ちを不意に物語が隠してしまい結果として近付いたり離れたりを繰り返す親子の距離感は読者に自然と心の距離という概念を教えてくれている様に感じて読み進める中で自分の親を無自覚に神格化している純粋で幼いままだった娘の感情が少しずつ毒気を帯び濁っていく様は非常に印象的で面白かったです
最後の貴族のお話。 私がいて、母親と弟。 私の視点で話が進められる。 29才のかず子は年齢よりとても幼く離婚されても仕方がない。母親も時代の流れについていけない様子。貴族でいることを嫌がる弟は家族の迷惑をかえりみない。 読んでいてほっとけない家族にハラハラします。貴族ってこんなに世間ずれしてるものなのかしら?叔父様はしっかりなさってるようでしたが。
太宰作品を連続読む機会が、訪れ、此が五作目です、 彼の生き様が、その輪郭が、少し見えて来たようです、 その奥深い深淵に辿りつきたい、
学生のときに読んだことがありますが、そのときはよくわからず退屈な作品と思いました。しかしそれから数年を経て改めて読んでみると何かすごく共感するというか、わかる気がします。和子と直治は同じ遺伝子を持つ姉弟だけれど、生命力は女性のほうが強いみたいですね。最後のところだけが理解できませんでした。なぜ和子は上原の奥さんに、上原と自分との間にできた子を直治の子供だと言って抱かせたいのでしょう?
戦後多くの貴族達がこの様な悲惨な状態におかれたのかもしれない❗️最後はやはり各々個人の生き様なのかな⁉️