読めてよかった。正直なんだ。すみれ=宝塚だけではない発見ができた。
だまされる人よりだます人のが苦しい?本気か?、、、あとは解る。
自問自答を繰り返す心の中から聞こえてくるかすかな声。それを聞き取り、返そうとする作家としての情熱と、芸術家ぶった自分を嘲笑する明暗混ざった文体は、太宰治の内省的性格がよく表れていて、はらはらさせる。
作者の信念記されてるなぁと思った。忘れた頃に読み返したい。
太宰は、芸術とはすみれの花だと。それはどういうことなのでしょうか。 すみれの花は春に咲く小さな、紫色の可憐な花です。儚げでありながら、意外とアスファルトの割れ目や庭の隅なんかでも咲く強さも持っています。実用性は少ないけれど、春がきて、ふと目についたときに心がほっこりとするような、心を癒し、慰めるような素敵さです。そして皆が頭上の桜に目を奪われている中でも、足元でさりげなく誇らしげに咲いています。(植物については、詳しくないのでスミレの生態について間違っている点があるやもしれませんがそこはあしからず。) 芸術もそれと同じで、儚くも強かに美しく、日常の中にさりげなく存在し、人の心を慰めるものであると太宰は捉えていたのかなぁ⋯と考えました。 絵画や音楽などはもちろん、文学も芸術と捉えられるならば、太宰治も立派な芸術家の1人でありますから、このように述べたのでしょう。「信じる」ことを大切とし、芸術をすみれの花と言い、その太宰の綴った言葉が芸術であるなら、私は今まで読んだ太宰の小説に違う色を見出すことができそうです。
戦時中の東大新聞。
芸術家とは豚の鼻。 すみれの匂いを知っている。