終わりのほうはちょっと話が難しくなる
この作品にはユーモラスさがあり、いまだに読み続けられている、まさに彼ならではだ。
襤褸(ぼろ)切れ 丸めて 野球ボール 雑巾敷いて 塁とする。 バット代わりの 木の枝で 巧く ボールに 当てても もとより 芯なるものがないから ゆらゆらと とんでいく。 寅彦は 創成期の 野球狂で 軌道計算をしてたかもしれないと感じた。
野球放送を聞くことは現代に生きる事の一つの要件である、と述べている。 ブームはいつの時代にも存在するものだ。自分だけが取り残された感覚、時代に乗り遅れた感覚、ファッションセンスのない自分への失望。 マジョリティとマイノリティに区分するなら、流行はマジョリティ内で自然と解放されている。こんにちのマジョリティはスマートフォンを持っている。老若男女である。 私ですら、電車で指でディスプレイをスクロールしてしまう。もはやインターネットを知らなければ、就職もできない時代である。そうなるとブームとかファッションではなく、生活の一部だ! 憲法§25条は生存権を保障している。 最低限度の文化的な生活?の中に、野球は無理でも、インターネットの利用はもはや含まれるのではなかろうか?