読み終わった後、清々しい気持ちにさせて貰いました。☆
面白かった
小学生で読んでも、中学生で読んでも、高校生で読んでもとても感動したが、57歳になって読むと、言葉の端々や文調や文字にならない余韻や心情が伝わってきて、あらためて感動した。 芥川は深い。
二度も 大金を手にしたのに 何も学ばず 着地点は 山の麓の家を貰っただけって 負け犬の志願兵のようなものと 違いますか。 情にほだされ 其を褒められ 回心するのも 情けない。
ホリエモンにぜひ読んで欲しい。
奢れるものも久しからず。 やっぱり慎ましく長い人生を楽しめたら、どんなにいいか。うーん、でも、お金ほしいなって、もらったら大事に使うからって愚かにも思います。 仙人のアフターフォローさすが。
この話を聞いたのは、小学校の朝礼で校長先生からでした。 校長先生の話はいつも長いので、早く終わらないかなと聞いていましたが、杜子春が何度もお金持ちになり、羨ましく思うのと、朝日が映し出す自分の頭の影の場所を掘ったら、金塊が出てくるかもと漠然と考えていました。 しかし、最後近くで、母親の子供を思う深い愛情に心惹かれました。 なぜなら、前日、私が家に忘れた絵の具セットをわざわざ、母が届けてくれたのですが、私は母が学校に来た事が恥ずかしく、ろくに「ありがとう」も言わずにいました。その事を急に思い出し、杜子春の話を聞いて、親の愛情を不思議と実感出来た、思い出の有る話です。
昔読んだ時には感じなかった清々しさを覚えました。 年をとるにつれて心が荒んできてしまったのでしょう。
元ネタのほうの「杜子春」では、最後の最後に人としての情を捨てきれなかったことを未熟とし、そのまま仙人は去って行くが、こちらの「杜子春」はそれで良い、そうでなくてはならないのだと称賛される。 仙人としては確かに前者が正しいのだろうが、あるがままを受け入れることの大切さを語りかける仙人と、実際に嫌々ではなく自分の人生を全うしようと心を入れ替えた杜子春、登場人物が優しい世界はすでに桃源郷と等しい。
昔は、地獄の様子や父親と母親が叩かれている場面を、ただただ怖いと感じていただけですが、こうして改めて読み直すと、新しいものが見えてくるようになりました。 確かに、人間の内には都合が良い時限定の人間関係や残酷な面が見え隠れする種類の人間はいます。程度こそ違っても、私達の身の回りに存在する人々であるし、それを非難する私達も、無意識にそのような存在である可能性も否めません。 その事実に勝手に絶望するのも自由なのかもしれませんが、この作品に出てくる杜子春の母親のように、心の底から自分の幸せや成功を望む人がいるかもしれないということを、うやむやにしてはいけないのではないかと感じました。 結局、人を信じるという行為は、自分自身の意思でしか成し遂げられないものであるから、人を非難して殻に閉じこもるより、目の前の人を大切にするという努力くらいはしてみたい。 読後、様々な両親に対する感謝の念が湧いてきました。 名作であると思います。
素晴らしい話やにゃ。ほんまもんの神様が美しい心とは何かをてまひまかけて教えてくれたんやにゃ。この青年はそれだけ見込みのある人間やったのかもしれないにゃ。
本当に苦しいことを経験し味わうことができた人こそ、最後は幸せにむかっていけるんだなぁ。 杜子春はどんな経験からも学ぶ姿勢があったから、お金持ちになっても傲慢になるだけで終わらなかったんだろう。
中学生以来読了。情景が浮かぶ。
すごく面白かった。読んでよかった!
お金や物よりも大切なもの。 読み終えた後、あたたかい気持ちになりました。
古い作品ですが、年を経て、久し振りに読み返し、豊かさの中で、忘れかけてしまった、本当に大切な物とは、と、改めて考えさせられました。
この物語を読むと、アメリカ映画「素晴らしき哉、人生」を思い出します。どちらも何度読んでも、何度見ても感動します。
子供の頃読んだ本の再読です。 分かりやすく面白いです。
人間の生き方、大切なものについて教えられる話でした。
いい話ですね。 欲も無償の愛も人の情。 人を導く仙人に感謝。 自分の気持ちに嘘をつかず、 正直に生きていこう。