ノーベル文学賞を 受賞した ある 外国の 作家は 起床直後から 執筆を 始めるいう。夢中の 出来事を 文字に 写す そうである。ほかにも 同様の ことを 言っている 文学者が 何人か いたような 気がする。わたしは 夢の中で 文章の 推敲を した ことが 何回か あるけど 人様に おめにかけれる ような 文章が 書けるわけではない。朔太郎さんは 夢から ヒントを 得て 執筆するような ことは 有るのだろうか。
作者の意見に同感するも最近夢については脳科学者の研究で色んな発見がされている。その方が真実に近いかな。
やや昔の人の文の良いところは居合のような鋭さでざっくりと言い切ってる気持ちよさだなって感じる。ピンセットでたまにはやってほしいけど
ただ何気なく見ている夢 寝るときの精神的な状況にも比例して夢もどこか似た精神世界に導かれてる 一人一人どんな夢をみているのか調べたかはわからないが、私にはなんとなく当てはまっている
陽気な者は陽気な夢を見る。 陰気な者は陰気な夢を見る。 夢は連続しない。むしろ、ストーリーが飛ぶ。矛盾だらけの筈だが、夢を夢と断定することは難しい。 バス停とバス停の間を飛行機に乗って行く夢を見たことがある。 登場人物もメチャクチャだ。 親兄弟家族小中高大の友人会社の上司同僚芸能人スポーツ選手皆知合なのだ!その意味では平和だ。皆知合だから争い事がない。 動物や昆虫の夢は見た記憶がない。 夢をコントロールできれは素晴らしいと思う。
詩人にしてエッセイも巧みである。 「夢の不連続性」 確かに 夢に連続性がもしあったら?などと発想したことはない。 詩的?なのかわからぬが面白い。 フロイトを否定し、夢を祖先の先験的記憶の再現という。ア・プリオリを夢の中に見るのもわるくない。 脳科学者でなく詩的観察者の作品である。