双之川喜1941 行き先の 目的も 方角もなく 失神者の ように うろうろと 歩き回る のだから 漫歩とも 言える。朔太郎の 場合 瞑想に 耽り 続けている から 瞑歩とも いえるという。詩情 詩味 雰囲気を 探すので 大切な 創作活動の 下拵え なの だろうと 感じた。
なんとはない散歩がしたくなりました。どことなくふらっと歩く時間って貴重だな…。
個人的には凄く共感出来て面白かった
数分で読みましたが、彷徨い歩く著者の心情に、何度も触れることの出来る濃密な作品です。
割とさっぱりとした文章でした。秋という過ごしやすい時期は、旅に向いた時期なんでしょうね。
中国人ですけど、日本語を勉強してます。最近は萩原朔太郎のような作家の作品が好きです。確かに私はちょっと古いという感じがあった文章がほうが好きだと思います。言葉が難しくないし、意味が深くありし、初学者に随分敵したと思います。
消閑法という言葉が良かった。秋の散歩が楽しくなる文。
趣味も娯楽もない、そして碁や将棋をさす友達もいない…とさみしく感じたが最後まで読むと主人公になってみたいと思った。
ありがとうございました。
「なぜなら人は、戸外にいる時だけが実際に自由であるから。」 家や仕事場=家族・知人・友人がいて、役割や肩書もある→自由なようで自由でない・孤独でもない? 戸外=道行く人は自分を知らず、役割も肩書もない→自由である・孤独である?
萩原朔太郎の感受性がよくわかりました 流石は天性の詩人
読みやすかった。頭のなかにスルスルと町を歩く様子が入ってくるようだ。 知ってる地名が出てきて懐かしい気持ちになった。
萩原朔太郎の人なりの一端が判って、面白かった。
まぁまぁ面白かった。性質が似ているので気持ちがよく分かる。文章もよみやすい。
散歩をすることは、楽しく色々な出来事に出逢えるので私は、大好きです。この作品は、情景が目に浮かび伝わります。
漫然と思いを耽りながら歩くから漫歩。これから秋が深くなる。私もあてもなく歩きたくなってきた。
私も秋が好きです。ひとりで公園のべんちに坐って、人々をみて、あんかこころも落ち着いた。
食欲の秋、読書の秋。 今年は漫歩の秋、やってみたい。
自己紹介のようだった。 そうかそうか、と思うほか無かった。 私は四季の全てが好きなので最初からあまり共感はできなかった。
感受性のかたまりみたいな詩を書く人だが、だれにでもわかる説明ができる人だったのだなと思った。