「「晩年」と「女生徒」」の感想
「晩年」と「女生徒」
「ばんねん」と「じょせいと」
初出:「文筆 夏季版」1941(昭和16)年6月20日

太宰治

分量:約2
書き出し:「晩年」も品切になったようだし「女生徒」も同様、売り切れたようである。「晩年」は初版が五百部くらいで、それからまた千部くらい刷った筈《はず》である。「女生徒」は初版が二千で、それが二箇年経って、やっと売切れて、ことしの初夏には更に千部、増刷される事になった。「晩年」は、昭和十一年の六月に出たのであるから、それから五箇年間に、千五百冊売れたわけである。一年に、三百冊ずつ売れた事になるようだが、すると...
更新日: 2025/01/02
65c8aadc88adさんの感想

双喜 売文の 輩(やから)が 売り上げを 気にすることは 恥ずかしいことではないと 政治学者の 藤原弘達先生が おっしゃっていました。原稿用紙の 一桝一字が いくらに当たるのか  貰った原稿料と くらべて 算盤をいれるのは 普通のことだそうで 半年間位 経たないと 稿料は 支払われないのは 業界の常識 だそうです。06:59。

更新日: 2016/06/05
0a1e6bb346adさんの感想

これは、太宰なりの歪んだユーモアである。 堂々と言うことは、憚られる。社会的にも、人道的にも。 お金に関することは特に、聖書に根差した、罪悪を感じるからである。 そして、自分は売れていない作家であるという自虐にも取れる表現は、 お金持ちに対する憧れと、皮肉の混じった妬みである。 誰しも売れた方がいいに決まっているという前提があるなかで、自虐を交えることで自分を正当化している防衛も働いている。 彼は、それを踏まえた上で、自分は綺麗な人間じゃないが誰よりも綺麗になりたい願望を持っているという自負の中で、ひねた自尊感情を持ち得ている。 ニーチェの言葉の中に、「自己嫌悪とは最も逆説的な自己陶酔の方法」であるというものがある。 これを太宰は知っていたかどうかは定かではないが、生きるということにたいして並々ならぬ希望と、またもう1つ、大きな、馬鹿げていると感じる夢想的な思いがあったのではないかと、 私は思わずにはいられないのです。 彼の言葉はストレートに受けとるべきではない。しかし、彼の心情を知るに至る鍵は、あらゆるところに散りばめられている。

更新日: 2015/11/09
かずあきさんの感想

「私は純文学作家だから、本が売れることは考えていません」なんて常套句を唱える作家よりはやっぱり、売れたいという静かな野望を抱いてる作家の方が人間味あって好きなんだけどなぁ。 それにしても、金持ちの懐も貧乏人の懐も違った意味で冷えてるのかもね。

更新日: 2015/09/29
a5ac6a3c331fさんの感想

何の世界でも 謙虚さを忘れず、驕ることなく 生きることが 大切だと思いました。

更新日: 2015/09/28
5267b11dcc36さんの感想

いい