精神的贅沢のオーバードースな気が…世紀が変わって二日酔いも覚めたあとのものを読んでみたかったな。
人並みの精神性、人並みの感性で当たり前に理想を羨み当たり前にそれとは掛け離れた現実に落胆し時には客観的にそんな自分を冷笑してしまう。歴史に名を残す偉人が生きる世界に庶民が足を踏み入れてしまった様な場違い感を心の底から理解しそれでも理想に近づく努力を怠らなかった男の生涯
51の 短い文章を 書き連ねているけど 苦しみや 心情を 吐露したものが ほとんどであり なかには 創作意欲の 片鱗を示しているようなものが 散見されるのは ことのほか 痛いと 想った。
生きることに真剣だったからこそ、自殺したのだろう
先に芥川先生の歯車を読みましたが、両作品に共通するものが幾つか登場していました。それは姉の夫の自殺であるとか、翼であるとか、(夏目)先生の死であるとか。 それでいて不思議とこちらの作品は歯車のように息苦しささえ覚えるような心地はなく、どこか淡々と読み耽りました。一人称視点でありながら、どこか客観的に思えてしまう、ある種の冷淡ささえ感じるのは、先生の意図するところなのかも知れません。 また、偶然かとは思いますが、先生の死、という章が丁度十三番目であることに、何とも言えない何かを思わずにはいられませんでした。(十三は不吉な数字てあったり、タロットでは死神のカードであったりする) 歯車を読んだ方ならあるいは、この偶然めいたものに何かを感じるかも分かりません。 ただもしよければ、歯車とこの作品は一緒に読むと一層、作品に深く入り込めるのではないかと思います。
読みながら暗い気持ちになりました。
精神を病んだ芥川が自殺する1ヶ月前に書いた遺稿。 芥川は子供のころに母親が統合失調症を患い叔母に育てられたという。 そのため、いつか自分も発狂するのではないかと恐れ続け、また叔母に嫌われまいと、必死に勉強したという。 この本はそんな芥川の生涯を断片的に描いたもの。 作中、芥川がうつ状態になったとうかがわせる箇所がいくつかある。 この本はそんな悲しい本だが、ファンにとっては必読の書。
死ぬ前に、今までのことを色々思い出しながら書いたのかなぁ、という感じの作品。走馬灯のように脳裏をめぐる思い出は作家にとって苦いものばかりのようで、実は甘いものでもあったのではないのか。
狂気に身を委ねられない、自殺も嫌な者はどうすればよいのか。綺麗なことも沢山思い出すことができて、その上巷に流れているような不幸も身に起こっていないが、ただただ死にたいときが頻繁にやってくる。自殺は周囲の人が自分のせいで意味のない嫌疑にかけられるのと、下手な理由で普遍化されて他者の記憶に漂うので嫌いだ。もしするとしたら因果関係を(嘘でも作り上げて)示し、部屋を完璧に綺麗にして死にたい。
繊細過ぎたのかねぇ