五年経つと あり島は 女と相対死します。舌の根が かわくのを じっとまったのでしょう。 そんなの あり? なしが普通でしょ。 で 感涙にむせんだ 純朴な読者に どう 落とし前 つけるんじゃ。
親としての作者から子供に向けて書かれた文章。エゴの塊だが語彙と描写は卓越している。この人は子供をたいそう可愛がったのだろうと思わせる。
格調高い文を読むと言葉の豊かさに圧倒される、この時代特有なのか、筆者の心からの言葉だからか。 彼がこの後何をしたにしろ、これを 読んで良い意味で泣きそうになった、児童虐待のニュースが多い近頃特に。
三人の子どもたちの誕生、母の死を通じて、残された幼い子どもたちへの愛情をあふれるばかりの表現で綴った作品。そのほとばしるような、解き放つような言葉は不思議な高揚感を感じます。名作です。(周五)
これを書いた時点で有島の気持ちは間違いなくこうあったんだと思うのだが数年後情死してしまうことを考えると複雑。 然し有島は父である以前に男なのだから仕方がなかったのかもしれない。 でも子供は複雑な思いでこれを読んだのではと思うとやはりどこか切ない。 これ単体がすばらしい作品であるだけに余計。
人生の意味、決してひとりではない〜そうだったのかもしれない。小さき時にオヤジが死にお袋が育て、その時に読んでおくべき物語だったな。既に死神の足音がすぐその辺りまできている。そんな歳に読むと俺の人生ほとんど無意味だったのか? 気がつかず知らず感じずの俗な世渡り。ずーと早死のオヤジを怨み母はオレを理解できない。独りだけど。微かに気配を辿ってくれるものがいるのかもしれない。と。本は読むべきだな。
子供への溢れる程の愛情が感じられた。 そして、幼い子供を残し、若くして亡くなった妻への想い。 妻が子供たちに言っておきたかった事も。 子供が生まれた時、妻が亡くなった時は、饒舌なまでに滔々と語るのに、間の生活で心が折れそうな時は言い訳がましさと、とりあえず話すけど言いづらい感じで、さっくり飛ばすように書いてあるあたりに、作者の人間くささが出てました。 でも、こんな文章を書く人が人妻と道ならぬ関係になって自殺するとは…。
行け。勇んで。小さき者へ。 この、ラスト数行のみ知っていた作品。全編、語り手である父が自分の子供たちへ送るメッセージ。何をもって小さき者と呼ぶのか、心身の幼き様、それだけではないように思った。物事の大小を決めるものは、心ひとつに他ならない、小さき者は、心ひとつで違うものに成り得る、だから恐れず行けと、父は子達に呼び掛ける。
有島武郎の文章をはじめて読みました。 お前と言われることは見下げられているようで好きではないけれど、それもよしと思えた。
最後の一文が好き
亡くなる5年前に書かれたものですね。 読み終えたとき、あまりにも いろんな想いが 湧いてきて 涙が溢れました。 自分の親とのことなども 思い起こします。 小さきものへの 限りない愛情、憐れを感じて 胸が詰まります。
感動的と一言では表すことのできない父親の我が子に対する愛とその深さを感じた。人は愛するがゆえにその人を憎んでしまうことがあるのかもしれない。しかし、そんな揺れ動きがあるからこそ人間というものが成立しているのだ。 自分を踏み台にして人生を生きて欲しい、ありふれた事だと思うかもしれない。だが、今の時代自分の子供とはいえ、ここまでの自己犠牲を払える父親は一体どれだけ存在するのだろう。
感動した
著者の経歴を読んで知ったのだがなんでこんな事書いて子供を捨てて、死んだのか解りません。だがよく読んで作者の立場と自分ならこういう時どうするのか自分に問えば、なんとなく作者の気持ちも理解できると思いました。