男は 偶然 若い男と 彼の 自宅で お茶を 飲むことになる。死をめぐって 難解な 高踏的な ややこしい 出口の 見えない 不毛な 議論が 繰り広げられる。若い男は 自死肯定論者であった。辟易(へきえき)して その屋を 立ち去ると 巡査に 呼び止められ 自殺遺体の 検死を 依頼される。男は 医師であった。現場に 駆け付けると 若い男は 口の中に 散弾銃を 撃ち込み 無惨な 自死を 遂げていた。検死報告書を 書き上げて 街に でると 少なくとも 俺は 死んではいないと 感じる。まばゆいほど 明るい 朝日が その時 昇った。あちら側と こちら側の 対比を 描ききって 見事であると 想った。
きっと死というジャンルの王道的展開といったらこれだろう、というわかりやすくて面白い作品。
ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ(1878年 - 1927 年)は、19世紀後半から20世紀前半のロシア文壇を代表する作家。 主に近親相姦やエクストリーム・自殺の推奨を行った性の先駆的指導者ともいえる。 若干三十代、脂がのってきた時期にロシア革命が起こり、文学活動を禁圧されるという不運な作家の一人である。 ゴーゴリ「外套」を読んだ時同様 ペトローヴィチの「死」という短編小説は、私の心を深く侵食した。 自殺を決意した ある見習士官の若者の言い分に翻弄される中年の医師の1日を追う。 "死ぬ事"の是非と意味を 押し問答に近い二人の会話が 脈々と綴られていく。 人の死というものは、 肉体なき虚無なのだろうか 20世紀を経てもなお、"死"という永遠の謎と恐怖…