ほかの人を 異常か 正常かは 一体 誰が どうやって 決めるのだろう。強者が保身のために 虚偽の風説を 殊更に 流布されると 対抗手段を 持たない 社会的な弱者は 抹殺同様な位置に 容易に転がり墜ちてしまうかもしれない。バレー(劇)で 舞台の上で 回転するときは 特定の目印(場所)に 視線を 投げかけると 眼が回らないと 聞いたことがある。異常者は そんな消息を 知悉(ちしつ)しているようにも想えた。
してはいけないと一般に思われるようなことをあえてせずにはおれない衝動を持つ男が、ついには自殺してしまうという話。 タイトルにもあるから、この衝動的な男は精神異常者として描かれているのだろうが、してはいけないことをしたくなるというのは誰にでもあるような性質だろうと思う。もちろん、そういう衝動を感じても人を殺すことも自殺することも普通は無いので、この男は精神異常者だと言っていいだろう。が、小説としては、最後に語り手が自殺するにも関わらず、物語に大した起伏が無く、さらにこのせっかくの精神異常者の心理の描き方もかなり適当で、説得力に欠ける。題材を活かせていないつまらない短篇だと思う。
サイコパスとはまた違った精神異常者のようにも感じました。この主人公は、始めは殺すことに快楽を求めるのではなく『自分が死ぬかもしれない』場所やまた、『事故で死ぬかもしれない』場面が好きだった。しかし、こうなった理由も『常日頃ある快楽』に飽きた結果となっているためです。なので、薬物のように『更に、更に』と求めた結果「たまたま」このような場面に出会い今度は『自分が原因で事故』となる場所に来たのですね。もっともっと、と求めていく程過激なものになっていく。これは多くの人間に当てはまるような気もしました。 もしこの作品に続きがあるのだとすれば、今度は人間を殺す側に行きそうですね。その先を考えていくと確かにサイコパスかもしれませんが。
こいつはやばい
精神異常者というか、破滅にのみ興味焦がれている奇妙な男といった印象。何らかの事故が起きるのを辛抱強く待っている。彼なりのこだわりがあるようで、最後は意図的に破壊を導きます。何故か時計じかけのオレンジを思い出しました。
日常に飽いて惨事でも良いから非日常を求める、おそらくは誰の心にもひっそりと存在する欲求を、「異常」というレッテルを貼ることによって「安全に」描いて見せたというべきか。 「異常」と呼んでくれることで、語り手も読者も「正常」の圏内に居られる。
非日常的な、災害や事故といったようなものに興奮を覚えてしまった男の話。 彼のあの異常性はある意味、強い野次馬根性なのだろうか。 わたし達にも当てはまりそうでぞくぞくした。
ある事件がきっかけで熱心に通っていた芝居にも見世物小屋にも興味を失くした男の短篇。イレギュラーによる本物の狂乱と興奮を味わってしまったら台本ありきの娯楽はつまらなく思えるものだろうか。しかしまあ高揚するのは分からなくも無い。非日常感というか。
自分に眠っているかもしれない精神異常性をくすぐられた話。 曲芸師の話からもうすでに、あっ…(察し)
日常を嫌い非常を愛する。 天災続きの最近の日本では不謹慎な輩と言われそうだが、実はオイラもそういう感覚がある。明日は祝日明けの火曜日だ、地震でも起これば会社に行けず、自宅待機だ!学生時代も同じ。不登校は昔からある。天変地異を期待する神経は精神異常者と言われても仕方ない。 曲芸師の話を聞いた後であれば、普通改心してその曲芸師を応援するなり拍手を贈るなりの行動を起こすだろう。 ところが、流石精神異常者だけある。 後は読め❗️
片手間に読めていい。 精神異常者っていうか、サイコパス?まあ、サイコパスも精神異常者だけど。 人の不幸を喜ぶこの男の神経はわからない。死んだ人が気の毒で仕方ない。 でも自転車のやつは、この男に依存した演技をしてたらダメだと思う。結局はこうなっていたのかなって思った
何かえもいわれぬモヤモヤが残る作品でした。
感想みて興味もってこの作品読みましたが、表現できない気持ちがわいてきて面白い
サブカルチャー大好き!刺激的なの大好き!と、変態に憧れるあの子に読んでもらいたい。
変態的道楽を持つ男の話。心ならず江戸川乱歩の作風とにたような薄気味悪さを感じた。