内藤湖南
内藤湖南の聖徳太子観は、これまでの通訳外交(多くはシナや朝鮮の帰化人)で、シナへの属国外交であったが、聖徳太子の隋派遣の国書は対等外交であった。国内的には憲法十七条で天皇中心の国家体制をめざし、仏教という新しいものを導入して文化の刷新をした。蘇我氏とは忍耐強く望み、優れた統治を進めた。