太宰の心の声が伝わってくる。 現代にも感じる苦悩を太宰流で乗り越えてる
太宰の優しさ、気遣い、ユーモア等素直な人間性が分かる最高傑作です。最後のたけとの再開は涙なしにはいられません。この再開の4年後、彼は入水自殺します。 たけの唖然とした悲しみ目に浮かびます。
いまいち
編集者の頼みで 帰郷したらしいけど 愉しく 懐かしいことが 沢山あったようで 取材の目的を忘れて 羽を伸ばしたように見える。 自作の小説の引用が 目立ち 字数稼ぎ とも思えないけど こういうのは 珍しい ようにも 感じた。
太宰の最高傑作‼ でありながら 未読のまま長い年月が過ぎた。 この作者の他の全ての作品にある、べたべたした、あのイヤらしさが、ここにはない。所謂ミーハーの太宰ファンはこの作品に物足りなさを感じ、足が遠退くのである。 その理由を、作者と対象との距離という概念で説明する文章に出会った。津軽以外の作品(詩の領域に入る初期の晩年などを除く)はその距離の測定に失敗しており、作者の思い入れが言葉の一つ一つに纏わり付く。それがミーハーを惹き付けるのだが、正しい意味での散文になりきっていない。一方津軽は作者が最も書きたかった題材ながら、対象との程よい距離を保っており、散文作品として太宰の最高傑作だ…。 散文かそうでないか、そんな小難しいことは措くとして、ミーハーにはどこかしら親しみにくい作品であることは確かなのだ。
何年かおきに読んでいますが、いつも新鮮です。人生は旅であると納得します。
太宰治の正直さ、不器用さ、温かさが伝わってきました。走れメロスを彷彿とさせるテンポの良さが、丁度良い間合いで現れて、飽きることなく、読み進めます。人間、太宰治が身近に感じられました。津軽に行きたいです。
もう一度読みたいと思った作品です。
後悔することが、しばしある。 昨日、せっかく竜飛にいたのに、そして太宰の文学碑を見て、はじめて「津軽」を読もうと思った。 失敗だ!完全に失敗だ。 旅の前に読んでいれば、そのありがたみがわかったろうに。 横浜に戻ってきてから、必死で読んでみても、心に響かない。修冶が酒ばかり呑んでるイメージしか浮かばない。 つられて、ビールを飲んでしまったので余計頭がクラクラする。 津軽人は人のもてなし方を焦ってドキマキして、派手に振る舞ってしまって、後で冷静になって恥ずかしさの後悔の念でいたたまれなくなる気持ち。 よくわかる。裏目裏目に出ることなんて人生そのものだ。都会人はいちいち反省などしていはい。 純粋さを外ヶ浜で感じたかった。
この頃の太宰はいい