「童話における物語性の喪失」の感想
童話における物語性の喪失
どうわにおけるものがたりせいのそうしつ

新美南吉

分量:約7
書き出し:放送局がラジオ小説を募集するとき次のような条件をつける。一、三十分で完結するもの。一、登場人物は×名|位《くらい》が好都合である。一、明朗健全にして、国民性をよく発揚しているものたること。そしてこれは辞《ことわ》ってはないが、芸術的にすぐれた作品でなければならぬことは勿論《もちろん》である。これらの諸条件を聞かされると、人は、それに一々|適《かな》った作品を書くことはいかにむつかしいかを思うのであ...
更新日: 2020/11/22
19双之川喜41さんの感想

 条件無しで霊感の降臨を待つのは ほぼ無理だろう。 しかしながら 読み聞かせの効用は 有ると言う。 フランクリン▫ディケンズ▫ゲーテもこの習慣を尊重したという。 傾聴すべき卓見である。 試みてみる 価値は あるように、思われる。

更新日: 2018/10/12
5173c54655b2さんの感想

童話に限らず、声に出して読んで面白いものは、字で書いたものも面白い、という新見先生の考えを展開されている。先生の純粋さがとても伝わってくる。同様の評論、随筆は多くあっても理論だったり理屈だったり、途中で飽きてしまうものが多かったけれども、先生の世界観は少し違っていて面白かった。 最後にディケンズやゲーテが若い頃、自分の書いた小説を友人に読み聞かせしながら、さらに良いものを作り上げようとした純粋な世界を、いいなぁと思っているんだなぁと感じて、少し反省と嬉しさを感じました。

更新日: 2017/01/10
ayameさんの感想

耳で聴いて面白くなければ、読んでも面白くない-とは一理ある気がする。 ■以下は好きな表現 ・稲妻のような霊感(閃き) ・作家の口から出る息吹きのこもった言葉