夏ハ、シャンデリヤ。秋ハ、燈籠。 よくこんなに端的に表せられるなぁ
自分で意味のわからぬこと言ってるところが何とも言えず好き。
きっと、本人としてはメモ書き程度の文章でも、たった一言でハッとさせられる美しさ。シーズンオフとなった秋の海水浴場を、「捨テラレタ海」と表現できる感性。 「僕くらいの炯眼の詩人となると」とは苦笑いしてしまったが、いやはや、その言葉通りなんですもの、参っちゃう。
弱ってもうじき死ぬトンボを、精神だけで飛んでいる、トンボ。スキトオル。と表すところがすてき。
枯れてゆくところにも、ずるさにも、ならではの美しさを感じました。
ア、終わってしまった。 なんだったんだろう。
詩財の準備を怠らないという。 夏は秋と同時にやってくる。 夏の内に全部 身支度を整えて しゃがんでいる。 感性の鋭い感想と思う。
はしりがきのような
蝶のところは私もグッとなった
良い言葉選び。
おもしろかった
秋は夏と共にやって来る夏の終わりをふと感じていたときはやっと秋の存在に気づけたときだったのかも
なるほと、秋にはそんな一面もあると、同感です。
キチガイな詩人が秋そのものを被っている。しかし、この小説は、秋そのものを表す小説として意図され、作られただろうが、特に心を刺激するような、現れてくるようなものはない。中身の抜け落ちた失敗作である。 と感じた。駄作を読まされた、裏切られたと気じた。この作家が後に人間失格を書くとは思えないくらいだった。
本職の詩人である筆者の詩材の準備のネタバレ。 しかし、ねえ君、変ではないかね? 本職の詩人なら、ガラクタのネタ帳など頼らず、己の感性で勝負するはずだ。頭の中のネタ帳を少し開くだけで、編集者のリクエストに応えられる。君の言うことは、デタタメだ! 震災の焼野原にしゃがむ女に恋するだって?他人の不幸に性的興奮を覚えるなんて尋常ではないな。サドでありマゾである。他人が自己と同化してしまう。客観的に見ようと思っても、主観が邪魔をする。君は結局、ナルシストなんだよ。写真のなかのその女は君自身なんだ。焼野原で茫然とし、頭のなかの感性も芸術も失った、似非詩人さ!
詩を書く場合、秋ならアから始まるものを書く。といった感じで、春夏秋冬を太宰治の鋭い視点(感覚)で読み取っている。こちらも研究本のような内容で、物語ではない。日記に近い。秋はずるい、という言葉に、ほう…彼はそう感じるか、私は秋は好きだなと思った。
詩人に、今一つ成りきれない太宰哉。散文作家ですな、矢張。
「けれども、今は言わない。」
秋の物憂さが巧妙に描かれている、腐な感想ではあるが、秋の季語に値するものをただ蜿蜒と綴っているのでなく、一見秋に関係のないような、太宰曰く「季節の思想」の描き表し方が美しいと思った。
秋は太宰のような存在 華やかな眩しく快活な夏の日差しの 陰で音もなくひっそりと枯野原の準備を目立たにようにしている秋 ずるい 卑怯な自分 夏のアントが秋 夏を否定するために生まれた秋 永遠の夏、常夏を許すわけにはいかない だから、惨め悲惨哀れな呆然として絶望して途方にくれた女に情愛を抱くのだ しかし、よくしたものだ 無名時代は世間から見向きもされないが有名になるとお世辞を言ってくる輩も多い 「秋はやっぱり風情がありますね」 「紅葉が美しい」