書き手としての寺田寅彦という人の素晴らしき巧者振りを見せつけられた一文だった。 タイトルに「人魂」とあるから、こちらは当然、柳田國男とか水野葉舟とか、あるいは折口信夫みたいな感じで怪異を説明した文章だろうというつもりで読み始めたのだが、さにあらず、もう最初から見た者の錯視か、何処かで点灯した光が何かの加減で偶然人魂のように見えただけだという前提で、それを検証すべく話をどんどん進めていく。 人魂なんてそんな非科学的な怪しげなもの、最初から問題にするようなものなんかじゃないのだ。 さすが寺田先生、怪力乱神を語らずというやつですね、と思いかけた最後にこうあった。 ❮われわれの子供の時分には、火の玉、人魂などをひどく尊敬したものであるが、今の子供らはいっこうに見くびってしまってこわがらない。 そういうものをこわがらない子供らを少しかわいそうなような気もするのである。 こわいものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。 こわいもののない世の中をさびしく思うからである。❯ なるほど、なるほど、寺田先生、押さえるところは、ちゃんと押さえていますねえ、見事です。