「人間失格」の原型になったと思える短編です。
甲府の武田神社で 家内の弟が撮った写真なるものを 眺めてみたい。 太宰は 写真は嫌いと うそぶくわりには 満更でもないように感じた。
アルバムを語る語り口がなんとも面白い。
友人宅を訪ねてアルバムを見せてもらえるのは、私にとっては嬉しいことでした。 なので、自分こそ招かれもしないのに、突然作者宅へお邪魔したお客気分で読みました。 描写が絵画的で、臨場感があって、前のめりになってアルバムを覗き込んでいるような気分になりました。こんな些細な日常を物語にしてしまう太宰治さんの発想が素晴らしいです。 その場に存在するはずのお客は一言もしゃべりません。主人の一人語り風ですが、きっと色々と主人の話に反応し、写真への感想も述べているはずです。それをあえて省いた手法が実に爽やかで 写真の中の物語をくっきりと際立たせています。 あの頃の写真がタイムマシンであり、確かに存在していたという証でもあるのですね。 写真は大切にしたいけれど 少し紛失したぐらいの量が丁度いいのかもしれません。 生前整理が取り沙汰される昨今、私も最低限の自分が生存していた証だけ残そうか、きれいさっぱり処理しようか。迷うところではあります。 「」
小説の中でしか、同情を得ない不器用男、泣かせます。
著者本人のことですねん
短編らしい終わり方だった。 言葉が拙いため多くを語れないが、太宰治の作品は読みにくいと一部で言われていたからいきなり長篇は、と思い短編に手をつけてみた。 なんとも、読みやすかった。
太宰治さんは今のアルバムの最後の一枚の写真がお好きなんだなと思って嬉しい気持ちになりました。
太宰治自身の写真を納めたアルバムをめくりながら訪問者に写真を撮った当時の自分のことを語る話。文を読んでいるというより太宰治と会話しているような感覚になる。まるで太宰治の知り合いになったような気分になるので不思議。
自虐を軽やかに展開した、美味しい文章です 「もぐらもちのように、太っていました。」って なんだそりゃ 自分で発明した言葉でしょうけど、的確だ!伝わってきてびっくり 太宰治さん尊敬しますわ
照れやさんのいかにも好んでいいそうな事を、はにかみながら語る太宰。好きだなぁ。
アルバムを見返す。表現がおじょうず。心が笑っているような笑顔がほしい。
アルバムを見ながら若い頃を笑ったり卑下したり…。アルバムを見るというささやかなことでしか楽しめない辛い現状と、辛い現状でもこんなことで楽しめるんだぞというメッセージを感じた。