ふぅん…という感じ。
良い
人間の浅ましさに焦点を当てた作品。 人間観察をしてペンを走らせる太宰を想像しました。
あさましくない人間などいるのだろうか。 何をもって浅ましいとするかは価値観によるが、価値観故に大抵の人は自分自身のあさましさに気づきにくい。 でも、ふとした瞬間に気づいてしまうこともある。 そんなとき、それを消え入りたいほどに恥じるのか、ユーモアに昇華するのかあるいは自嘲するのか。 ふとそんなことを考えた。
人間失格の中にあるエピソードと同じだった。 実話だったんだな。 人間の恥ずかしい体験に共感してしまう。
好き
自虐の投影? あさましき人に対しての密かな共感が透けて見える。
みっつめのポストでキスをしよう
作家もあさましいとは。 あさましきものに対して上から目線にならずにいられない作家の業は、読者こその上から目線で成り立っているあさましき予定調和。
太宰は、思わず条件反射のように表してしまう卑屈なオモネリと媚びを、自分こそは最も恥じているのだと他人にみられたがっていた。 これが彼の書いた作品の一貫したテーマだったし、死の影をちらつかせて必死に延命をはかった作家としての姿勢でもあったろう。 本人も作家として生きていくうえで、うまい鉱脈を掘り当てたと赤い舌を出したに違いない。 自分のことを賢明に見られることを極端に恐れ、そういう局面に遭遇すると、わざと悪ぶって無頼を演じた。 それは、俗っぽい「もっともらしさ」を嫌悪していることを仄めかすためには、必要なポーズでもあった。 しかし、それは、都会に出てきた田舎者が、馬鹿にされまいと精一杯背伸びして選良意識を誇示するための裏返しとしての「浅はかな道化」でしかないことは、見るものが見れば容易に見抜けてしまう程度のものだった。 その浅はかな偽りの道化を見抜いた作家がふたりいた。 志賀直哉と三島由紀夫である。 仮面をひっぺがされて示した態度は、死に至るほどの激昂と、傍目にもみっともない狼狽と冷笑を演じるくらいが精一杯だった。
「あさましきもの」の意味がわからず調べてみた。 この作品では「あさまし」とは、「情けない・見苦しい・みっともない」という意味なのだろうと思う。 一人目は、お酒をやめると誓って次の日には飲んでいる男性。正直、意志も弱く情けないと思いながら読んでいた。 二人目は、よくわからなかった。 「3つ目のポストのところでキスをしよう」と言われ、その瞬間を意識することで逆に冷静になり自分の先程までの姿を思い出し、見苦しいと恥ずかしさで苦しみ始めたのだろうか? お守り袋が首からぶら下がっていることを考えると、常にお守りを身に着けていると考えられる。心が弱いという描写? 三人目は身だしなみをちゃんとしている男が牢に入れられた話。牢にいる時「肺が弱いから不起訴にしてやろう」という話を聞き、訊問の際咳2つ分偽り、その事を見抜かれ、偽った自身に対してみっともないと恥ずかしくなったのだろう。 正直、読んでいる間は情けない人達だなと思って読んでいた。 しかし、私と自分の嫌なことから目をそらすため偽っている事が多々ある。 それを恥ずかしいとも思わなくなってきた私は「あさましきもの」なのだろう。これは、そんな自身を振り返ることのできる作品だ。
あさましきものか。 みんなあさましいんだな。 それが人間。 自分できづいて嫌だなと思うけど、そんなもんだ。 それがあるからかわいーんだ。そう思えればなー。 認めて許そう。 なかなかできないけどね。 こうやって簡単そうにまとめちゃってるのもあさましいなー
人間は正しく生きているつもりでもどこかにずるい気持ちを持ち合わせている。ふとした時に他人に見透かされる恥ずかしさ。誰しもが他人事には思えない話だろう。
惨めさを感じました。 自分の行いとこの作品の中にでてくるお話を繋げて振りかえることのできる方はどれほどいらっしゃるのかと想像して、それなりに満足できる人生を送ってきた方々には伝わらないのじゃないかと、共感のしずらさに、読んで近しさを感じた自分を惨めだと思いました。 貴重な体験で面白かったです。時を経てもう一度読みなおしたら感じ方が変わりそうなので試してみたいです。
1つ目の話、なんて切なく苦しいことよ。
『ね、この道をまっすぐ歩いて行って、3つ目のポストのところでキスしよう』
わからなかった
お守り袋ってなんだろう。見つかると恥ずかしくなるもの?
三つの「あさましきもの」によって構成されたお話。最初のお話は人間失格でも見たようなお話で、どちらが先に出たお話なのか調べたいところ。なげやりで廃退的で、短いけど太宰のお話だなと感じた。
とても短く淡々と「あさましいもの」の話を3つ連ねる。然しながら、それぞれが、そんなに浅ましく感じるものではなかった。当時の実話で、耳にして3つに分けて執筆したのだろうと思う。太宰自身の日記帳を覗いているように感じた。