「初旅」の感想
初旅
はつたび
初出:「旅と伝説 第八十号」1934(昭和9)年8月1日

寺田寅彦

分量:約5
書き出し:幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。自分よりは一つ年上の甥のRと二人で高知から室戸岬《むろとざき》まで往復四、五日の遠足をした。その頃はもちろん自動車はおろか乗合馬車もなく、また沿岸汽船の交通もなかった。旅行の目的は、もしも運が...
更新日: 2025/06/24
8eb05d040692さんの感想

これを読んで、随分前に自動車で行った高知旅行を思い出した。 その時は桂浜に行ってから室戸まで行こうとしたが、結構な距離があり断念した。機会があれば室戸岬も行ってみたい

更新日: 2022/02/20
cdd6f53e9284さんの感想

この随筆では、高知市内から室戸岬まで簡易な宿に泊まりながら数日かけて歩いたように書かれている。 高知では、お遍路さんが泊まれる所ならいくらもあるので、そういうこともあったかもしれない。 自分が通った高知の大学では、新入生に夜通し歩き抜かせるという実にハードなイベントがあった。 思い出すたびに、うんざりさせられるが、しかし、この寺田寅彦の随筆からは、その辺の辛さみたいなものは、まったく感じられない、 たぶん、見ること為すことがすべて新鮮に受け取ることのできる少年の柔らかい感受性が、肉体の疲労など、なんなくねじ伏せてしまったのだろう。 そうそう、それにもうひとつ、この初旅には甥っ子の連れがあったと書いてあるから、孤独や寂しさというものを感じることもなかったのだ。 暗闇の道を一人きりで夜っぴて歩き通した自分のあの時の惨憺たる記憶と比べると、この寺田随筆は、遥かに楽しそうで、あまく切ない郷愁にさえ満たされている、羨ましい限りだ。 たぶん、この旅に同行した甥が、既にこの世にいない悲しみとも無縁ではないと思うが。 そういえば、寺田寅彦の最高傑作「団栗」でも、愛妻の一瞬のキュートな仕草を深い眼差しで見つめながら、その最後で妻は既にこの世の人間でないことを明かして、それらの姿が、追憶のなかにある映像でしかなかったことを知らされたときの書き手の悲しみが怒濤のように溢れてきた感覚と共通したものを感じたかもしれない。

更新日: 2022/02/18
19双之川喜41さんの感想

 室戸岬の 捕鯨の壮観を見る ための 旅だったけど  残念なことに 漁を見る ことは出来なかった。 その代わり に 宿の 主人が  貴重な 鯨などの絵図を  特に見せてくれたので それらを 模写したりして スケッチブックを埋めた。

更新日: 2018/10/18
いちにいさんの感想

使い捨てカメラやスマホの無い時代でも、旅先の景色を記憶だけでなく何とか残そうとスケッチを描いている点、面白い。スマホでは1秒もかからない行為だが、絵を描くとなると時間がかかったはずだ。観察力も必要だ。それだけでも記憶に残る。スケッチブックを持って旅をするのも良いかも知れない。