寺田寅彦
雙喜 当時は 東海道線は まだ 開通していなかったので その頃は 横浜と 神戸の間は 汽船で旅するのが ごく 一般的だった らしい。船酔いをするので 人力車を 仕立てて 帰郷することに決め 親の膝におさまり 車夫の まんじゅう傘の 影が 椎茸の 影のようであるのを 愉しみつつ 車に 揺られる 旅だった。幼くして はやくも 観察眼が 鋭かったのには 感心した。大井川は どうやって 越えたのかな。
くそつまんねぇ