「笑い」の感想
笑い
わらい
初出:「思想」1922(大正11)年1月

寺田寅彦

分量:約22
書き出し:子供の時分から病弱であった私は、物心がついてから以来ほとんど医者にかかり通しにかかっていたような漠然《ばくぜん》とした記憶がある。幸いに命を取り止めて来た今日でもやはり断えず何かしら病気をもっていない時はないように思われる。簡単なラテン語の名前のつくような病気にはかかっていない時でも、なんとなしに自分のからだをやっかいな荷物に感じない日はまれである。ただ習慣のおかげでそれのはっきりした自覚を引きず...
更新日: 2019/10/24
19双之川喜41さんの感想

 はなから 笑うつもりの人を相手に 笑わせるつもりの人が 笑いをとるのは ごく 当たり前のことだけど 場違いな哄笑は 叱責される。 むかし 法事の坊主の御経に 吹き出して 陰で 叩かれたのを おもいだす。 ベルグソンは 後から 読んだと かいてあり 寅彦のほうが 分かりやすい。

更新日: 2016/09/13
a1bfc4c29d0dさんの感想

笑いといえば.ノーマン・カズンズの「笑いと治癒力」(正・続)を思い浮かべる。それがかの寺田寅彦が書いているというので、興味を持った。 両者の間に、もちろんのこと何の関連も無い。 自分も子供の頃、喉のあたりが急にこそばくなるという問題をかかえていた。しかし寺田のようには、それを深く考察しようとはしなかったし、能力もなかった。 このテーマで、他の著者の作品も読んでみたい。

更新日: 2016/08/28
4a75181d9077さんの感想

ベルクソンの同名の文章を無料で読むつもりで探したら、こちらにヒットしたので読んでみた。すると、著者自身も意識して末尾で言及していた(笑)。 しかし著者曰く、哲学の巨人の1人のいう分類は心理の問題で、自分がいうのは生理と心理の架橋的な問題だという(棲み分けているようでいて、十二分に挑戦的だと思えるが)。 ところで、癌のトリガーの1つにストレスがあり、それゆえにお笑い芸人の映像を見せて身内の老人の癌の進行を止めたいなんてシリアスな例もあるが、笑いの効能から入り、ホメオスタシスを保とうとする作用一般の一部と眺めるのはどうか。 著者の道具立ての濫用かもしれないが、単に笑いを筋肉の緊張と弛緩という現象として捉える。良く言われるように、楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだということが起きる。生理から心理が出てくる。身体的反応がストレスを軽減するのはそういう順序じゃないかな。 動物の中でも笑うのは人間だけというのは割りとサタニックで、笑うから人間はストレス発散できて死なないとすると、笑えない動物たちは相当呪詛を抱えて死んでいくのだろうか? 著者の幼少期のような衝動は割りと、ページが進んでも修飾を尽くしつつ生理現象として説明が落ち着いてしまうのだけど、もっと破壊的な寓意もありそうだ。著者の幼少期は今よりずっと世間様の圧力が高圧だったろうと推察される。かっちり決まった鋳型に対するリセット願望も手伝ったんではないか? チャップリンがヒトラーの独裁を笑いで批判したように、脱構築したりパラダイムシフトを招こうとする衝動が人にはありうる。 シリアスなのでは、戦場や火事場で笑い出すというのがある。戻らなければ狂人だけど、笑いやむなら、それは正常な均衡を保つためのガス抜きが異常なテンションで起きているとも解せる。 翻り、お笑い芸人は怒るかもしれないが、彼らは大小あるうちの小さな衝動を扱い、カネを稼いでいるんではないか。常識をあの手この手ずらしてみせて笑わせる。でも、それ以上のことはしない。今日も楽しく、波風が立たない。アジテーションがなんでもかんでも良いわけじゃないけど。 社会の閉塞感に笑いが効かないとしたら困るなと。 笑えなくて、笑えてきました(個人技)。 これにて失礼します。