「棄老伝説に就て」の感想
棄老伝説に就て
きろうでんせつについて

南方熊楠

分量:約1
書き出し:誰も知つた信州|姨捨山《をばすてやま》の話の外に伊豆にも棄老傳説があると云ふのは(郷土研究三の二四三)棄てられた老人には氣の毒だが、史乘に見えぬ古俗を研究する人々には有益だ。一九〇八年板ごむの「歴史としての民俗學」第一章などを見ると、今日開明に誇る歐羅巴人の多くの祖先も都々逸《どゞいつ》御順《ごじゆん》で、老は棄てられ壯きは殘る風俗で澄《スマ》して居たらしい。吾邦固より無類の神國で、上代の民純朴だ...
更新日: 2025/03/10
65c8aadc88adさんの感想

雙之川喜1941  ほぼ 好き好んで 棄老に 走る わけでは ないだろうけど 生産性が 低いと 口減らし 無しでは 生活が 成り立たない。この問題の 周辺の 同じように 深刻な 問題としては 安楽死の 可否の 問題があろう。誰も 傷つけないためには みずから 意図的に 衰弱死を 選ぶ 高齢者は 一定数 いるときく。死人に 口なしで 統計数字に 現れる わけではないので 社会問題化 しにくい。哲学者 宗教家をも交えて 検討して おくべき 課題と 思われる。  

更新日: 2022/03/28
cdd6f53e9284さんの感想

むかし、子供のときに、姥捨て伝説を読んで、まるで一休さんのとんち話のようで、随分、リアリティーのない現実ばなれのした話だなあという印象をもった。 成長して、今村昌平監督の映画や木下恵介監督の映画を見て、ますますその感を強くした。 ある村では、殿様の命令で、一定の年齢になった年寄りは、山に捨てなければならないと定められている。 そんなムタイな定めが、本当にあるだろうか。 儒教では、「君には忠、親には孝」と教えていたのではなかったのか。 息子は、老いた母を背負って山に行くが、どうしても母を捨てることができずに、密かに連れ帰る。 やがて殿様は、強敵の隣国から数々の無理難題を持ち掛けられるが、老母の知恵を受けた息子は、的確なアドバイスをして殿様の難局を救う。 喜んだ殿様がわけを聞くと、すべて老母の知恵だと知って、殿様は自分の不明の致すところと深く反省し、それからは年寄りを大切にしたという昔話だが、これだけなら、花咲爺いとか、こぶとり爺さんなどと、さして変わらない話だ。 老人の捨て場所に人骨がるいるいと転がっている今村昌平監督のリアリズム映画を見れば、昔話の無機質さは吹っ飛んだ、 そして、改めて、なぜ老人は捨てられなければならなかったのかという疑問がわいた。 凶作だったり、もともと生産性の低いことが常態の寒村なら、老人の口べらしということもあったかもしれないが、それなら、裕福な家の年寄りは生きたままの廃棄を免れられたのだろうか。 そんな時に、納得できそうなヒントを得た。 嫁に憎まれて、気の弱い息子が、母親を泣く泣く追いやる。 なるほど、現在でもざらにありそうで、これなら高度なリアリティーを感じることができる。 しかし、この南方熊楠の「棄老伝説に就いて」を読んで驚いた。 老いた親たちを捨てていた者たちが、やがて年取ったとき、自分たちも同じ目にあうのかと悟って、この習慣をやめたと書いてある。 なんたる悟り、なんたる気づき いまさらおせ~んだよ、もう何人殺っちゃったと思ってんだよ。 早く気づけよ! しかし、これこそ最高難度のリアリティーというものです、いやはや、感心しました。 長生きは、したいものです。 まして、墓に布団は着せられずという感じでせうか。