「夏目漱石先生の追憶」の感想
夏目漱石先生の追憶
なつめそうせきせんせいのついおく
初出:「俳句講座」1932(昭和7)年12月

寺田寅彦

分量:約25
書き出し:熊本《くまもと》第五高等学校在学中第二学年の学年試験の終わったころの事である。同県学生のうちで試験を「しくじったらしい」二三人のためにそれぞれの受け持ちの先生がたの私宅を歴訪していわゆる「点をもらう」ための運動委員が選ばれた時に、自分も幸か不幸かその一員にされてしまった。その時に夏目先生の英語をしくじったというのが自分の親類つづきの男で、それが家が貧しくて人から学資の支給を受けていたので、もしや落...
更新日: 2025/01/04
65c8aadc88adさんの感想

雙喜 漱石からの 寺田に たいする 教えは  俳句の 技巧 だけでなく  自然の 美しさを 自分自身の 目で 発見すること  人間の 心の中の  真偽を 見分け  真なるものを  愛し 僞なるものを 憎むべきことを 教えられた。君子の 交わりとは まさに このことかと 感じた。06:59。

更新日: 2019/11/03
19双之川喜41さんの感想

 漱石が 有名人になってから にじりよって行ったのかと 思い込んでいたけど 無名のときから関係はあったようで 俳句の師としての影響が とりわけ大きいと愚考した。 先生が 無名でもよかったの 下りには 胸にきた。

更新日: 2019/07/07
5e9c47c11b5fさんの感想

夏目漱石先生の意外な面が知れて、大変面白かったです。ありがとうございました。

更新日: 2017/12/17
ee2fba77e0a5さんの感想

青空文庫のスタッフの皆様、いつもありがとうございます。 感想ではありませんが、最後の 読了済みにするは、 読了にする、 でよろしいかと思いますが、いかがでしょう。

更新日: 2016/09/13
芦屋のまーちゃんさんの感想

寺田にとっては夏目漱石は文字通りの「先生」であった。 大文豪だから先生でなく、先生だから先生なのだ。名もないただの学校の先生のままであることを望んだ。 科学の分野では寧ろ寺田が先生で漱石が生徒のような漱石の真面目さが想像される。 和辻は漱石の作品を解釈したが、寺田は漱石そのもの、その存在を理解し、漱石から学んだ。寺田にとっては漱石の作品はどうでもよかったのかも知れない。

更新日: 2016/01/16
a98a2cd23bf1さんの感想

若かりしころの お茶目な(?)作者と夏目漱石との交流が 伝わってきて羨ましいほどです。 後半になると 泣けてきました。 夏目漱石の『こころ』の、先生とわたしとの関係、距離とは このような師弟関係が 可能だったから なのか。 現代には もうみられないと思いました。

更新日: 2016/01/13
feaada47de2eさんの感想

師弟愛だねえ。 寺田寅彦の、何て可愛らしいことか。 漱石の背中が見えたような気がしました。

更新日: 2015/09/03
8849e684c19dさんの感想

今この感想を読まれているあなたにはこのような師がいるでしょうか。