「ニュース映画と新聞記事」の感想
ニュース映画と新聞記事
ニュースえいがとしんぶんきじ
初出:「映画評論」1933(昭和8)年1月

寺田寅彦

分量:約8
書き出し:ニュース映画は新聞紙上の報道記事の代用または補充として用いられるものと通例考えられているようであるが、この両者の間の本質的な差別の目標については、少なくも自分の知っているだけの範囲では、まだあまり立ち入った分析的考察が行なわれていないように思われる。しかし、そういう考察を進めて行けば、その結果は、ニュース映画の将来の発展に対して、少なくもなんらかの指針となるべき暗示を生み出すであろうと想像される。...
更新日: 2022/05/04
cdd6f53e9284さんの感想

新聞記事というものは、通り一片の定型の文章が既に決まっていて、その都度変じた固有名詞を単に当て嵌めていくだけの話なので、それぞれの事件の個々の特性をその記事から求めようとしても、それは所詮無理な話なのであって、その点、視覚的に訴えるニュース映画は凄いぞといっている、 ただ見ただけで、いろいろな情報がいっぺんに目から得られるじゃないかというわけだ。 それはその通りなのだが、この文章が書かれてからほぼ100年後を生きている「未来人」の僕らからすると、寺田先生が希望を託した「ニュース映画」の未来は惨憺たるものだったことをご報告しなければならない。 そもそも今では、「ニュース映画」という言葉自体、死語になってしまったし、発刊部数が激減している新聞にしてもネットに侵食され、ごく近い将来の廃刊に備えて他業種移転を模索している最中だ。 目端のきくネズミなら、沈みはじめた廃船から、とっくのむかしに逃げ出している。 さらに、水をさすような話で大変恐縮なのだが、寺田先生が映像表現の素晴らしさのひとつとしてあげておられたオリンピック優勝選手の素晴らしい笑顔の件だが、おそらく、先生がご覧になった日本人が七つの金メダルを獲得したロサンゼルス·オリンピックが、「スポーツ」が希望だったり楽観だったりした最後の大会だった。 次の1936年のベルリン大会は、ヒトラーの顔が見え隠れした国威を世界に誇示した威嚇の大会にすぎず、スポーツとは違うものを競い合う場に過ぎないものとなったし、続く1940年の東京大会は、日本が戦争に突き進み始めたために返上された。 そして、現在、ロシアのウクライナ侵攻で起こっている悲惨な戦争を前にして、スポーツなどいかに無力かを思い知らされている。 まあ、なにもスポーツばかりではないが、馬鹿げた千羽鶴とか、いままさに世界で起きているリアルな戦争や多くの子供たちの悲惨な死の実態は決して見ようとせず、あいかわらず空疎な「平和」を金科玉条のように唱えている平和運動家とかいうヤカラの時代錯誤の愚劣と卑劣が、この侵略戦争によって炙り出されたというところだろうか。 いずれにしても、その時代錯誤の日本のお花畑に世界は苦笑を浴びせ掛けている。