「さるかに合戦と桃太郎」の感想
さるかに合戦と桃太郎
さるかにかっせんとももたろう
初出:「文芸春秋」1933(昭和8)年11月

寺田寅彦

分量:約8
書き出し:近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。詳細な事実は確かでないが、なんでもさるかに合戦《かっせん》の話に出て来るさるが資本家でかにが労働者だということになっており、かにの労働によって栽培した柿《かき》の実をさる公が横領し搾取することになるそうである。なるほどそう言えば、そうも言われるかも...
更新日: 2022/03/24
cdd6f53e9284さんの感想

今日読んだエッセイのなかで一番に笑えた傑作だったので、忘れないうちに、所感を書き止めておく。 それにしても寺田寅彦よ、あなたのようなクールな人を、あんな閉ざされた暗黒時代に無駄に生かせたくなかった、もっと有意な時代だったなら、あなたの叡知を世界のために生かせたであろうに、返すがえすも残念だ。 このエッセイの書き出しが凄い、こうだ。 「近ごろ、ある地方の小学校の先生たちが、児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。」 びっくりするような書き出しだが、このエッセイが書かれた世情に照らせば、あながち、突飛な出来事でないことが察せられる。 当エッセイが発表されたのは、文藝春秋·昭和8年11月、中国大陸では日本軍の侵攻が着々と進み、不吉な戦争の気配に覆われながら、疲弊した国内は不安と動揺に満ち、その混乱のなかで労働運動が高揚して、世情は、まさに混乱のピークを迎えようとしていた時期だ。 この時代の緊迫した雰囲気を伝えるのには、幾つかの出来事と数字とをあげれば十分だろう。 #内務省、教員給与の未払い687町村、8782人と発表、以後さらに増加 #日本プロレタリア文化連盟結成 #労働組合818、組合員36万8975人、組織率戦前最高 #栃木県阿久津村小作争議が流血事件に #横浜市電スト弾圧で惨敗 #全協指導で東京地下鉄スト #文部省、農漁村欠食児童20万人と発表 #日本労働組合会議結成 #赤色銀行ギャング事件 #唯物論研究会創立 #総同盟大会、罷業最少化方針決定 #東京地裁尾崎判事ら共産党シンパで検挙、いわゆる司法官赤化事件 #長野県教員の一斉検挙開始(4月までに65校138人検挙、教員赤化事件) と、まあ、これだけのことが、立て続けに起こったのだから、世情騒然として人心が動揺するのも無理はない、 労働運動や反戦運動も燃え上がるだろうし、それに比例して取締りも激化するのは、香港やロシアの例を見るまでもない。 そんな感じで昭和史年表の該当年の事件を上から順に写していったら、ついに寺田寅彦がエッセイで書いたとおぼしき事件に行き当たった、たぶん、これだ。「教員赤化事件」 この赤い先生がたは、「さるかに合戦」というおとぎ話を、さるが資本家で、かにが労働者で、「搾取」というものは、かく行われるのだと小学生たちに絵解きし、教えたのだという。 ぬくぬくとした安全な場所で行われる「反戦思想」に根ざす行為が、時として、なんとも奇妙で滑稽な道化を演じてしまうことは、日本においては(現在、ウクライナで戦われている戦争には我関せずの鈍重な反応しか示せず、国内の些末な問題しか見えない似非平和主義者という連中の現在にいたるまで)往々にして起こりがちなのだが、当時においても、聞いてるだけで、こちらが恥ずかしくなるような、こんな幼稚なことを、真剣になってやらかしたのだ。 そんな奇妙な童話を教えられた子供たちこそ、いい迷惑なのだが、この程度の教師しかいなかったのかと思うと、恥ずかしいというよりも憐れになる、 正義か悪か、搾取か被搾取か、支配か被支配か、どこまでいっても、なにものかを生み出すとも思えない退屈な設定だ。このような単純な紋切り型の二次元論で、人間を描ききることなど、到底できるわけがない。 すべてのブロレタリア文学の凋落の因は、まさに、そこにあったといえる。 寺田寅彦は、このエッセイの最後でこのようにいう。 「われわれの子供の時分にはおとぎ話はおとぎ話としてなんらの注釈なしに教わった。 そうして実に同じ話を何十回何百回も繰り返して教わったものである。 そうしてそれらの話の中に含まれている事実と法則とが、いつとはなく自然自然と骨肉の間に染み込んでしまって、もはやもとの形は少しも残らなくなっているが、しかし、実際はそれらのものの認識がわれわれのからだのすみからすみまで行き渡ってわれわれの知恵の重要な成分をなしているのである。 もしもこれらのおとぎ話を、尻の曲がったごうなの殻にでも詰め込んで丸のみにさせられていたのであったら、とうの昔に体外に排泄されてどこかよその畑の肥料にでもなっていたことであろうと思う。」 寺田寅彦は、このエッセイの最後で、おとぎ話を変に壊すな、糞野郎と言っているのであろうか。