「ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった」の感想
ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった
ああかぞくさまだよ とわたしはうそをつくのであった
初出:「講談雑誌」1929(昭和4)年4月

渡辺温

分量:約8
書き出し:居留地女の間ではその晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、始めて横浜へ遊びに出かけた。アレキサンダー君は、そんな遊び場所に就いてなら、日本人の私なんぞよりも、遙かに詳かに心得ていた。アレキサンダー君は、その自ら名告るところに依れば、旧露国帝室付舞踏師で、革命後上海から日本へ渡って来たのだが、踊を以て生業とすることが出来なくなって、今では銀座裏の、西洋料理店某でセロを弾いていると云う、つまり街...
更新日: 2023/11/18
80ed1a90b7c7さんの感想

結局セックスする話や! 何やこれ!

更新日: 2022/11/18
鍋焼きうどんさんの感想

「シルクハット」で似たような病気持ちの娼婦が出ていた。

更新日: 2022/05/03
フロントリーフさんの感想

主人公はやたらにアレキサンダー君のことを考える。踊れず手持ち無沙汰になったり、ホテルの青白い娘を抱いたりした後、彼の言葉を思い出して文章が結ばれる。二人は初めて遊びに行く仲なのに不思議だ。 というか、この話の中で主人公は他人にあまり心をかけていない。とりたてて喜怒哀楽もなく最後までフラットに進んで、女にシレッと嘘をつく。アレキサンダー君のことも、見るともなく見ている程度だ。宮廷付の舞踏家だったと自称する彼の踊りは上手いだろうに、特に細かい描写はない。静かに進んでいく雰囲気に漱石の『硝子戸の中』などを思い出したが、神経質さを感じない点で少し異なる。 六月の牡丹の如く絢爛な女、という表現は割と好きだ。自分も物慣れた友人に伴われて遊び、その夜の相手を選んでみるというのも楽しそうだと思った。“友人に伴われて”いるのが肝心で、何事にも先達はあらまほしきもの。

更新日: 2022/04/05
19双之川喜41さんの感想

 嘘を吐いた相手は 最も古い仕事の病気持ちの女である。 港町ものの ようでもあり 雰囲気がある。 それにしても 長い題名であると感じた。

更新日: 2022/02/13
cdd6f53e9284さんの感想

渡辺温は、若くして谷崎潤一郎にみとめられ、前途洋々だったのに、列車事故に遭遇し夭逝亡した。wikiで「渡辺温」の項を読んでみたら、ここに掲げられた作品も主要作品のひとつに上げられていた。とすると、ここに上げられているのは、一部分なのだろうか。もしこれが遺作のすべてなら、巧拙を論じる前にむしろ哀れを感じる。

更新日: 2022/01/20
cd57ab1fc385さんの感想

古風過ぎて興味が無くなった

更新日: 2020/04/11
036ce3333072さんの感想

コロナの最中に読んでます。コロナ離婚というワードが流行ってますが、コロナ結婚とか、それに変わる何かもありそうですね。しかし刹那が凄いです。

更新日: 2019/11/19
44ca0fecb3eaさんの感想

読解力が無さすぎて、最初この本が何をいわんとしているのかがよく分からなかった。 ネットで他の方の感想を読んで、情緒溢れる港町で「大人の遊び」に興じた人の小話という感じだろうか? 長編タイプのような文脈なので、これだけの短さだと何だか「物足りない」気がした。

更新日: 2019/01/25
うさぎ御前さんの感想

横浜でお洒落に飲み歩く話かと思えば、最終的に売春宿に行き着いてちょっとガッカリ。 発表が小林多喜二の蟹工船と同じ年。 同じ年に、かけ離れている二つの世界のようで、同じ貧しさの影を売春宿の女には見る。 そして、華族様だよ云々に、自分に酔っている風な、この文章もまた、時代のいち証言。 1929年。世界恐慌の始まりの年ですな。