雙喜 フロイトが 説く ところの 近親相姦系の 話しを 期待する向きは はじめから そんなことは 起きないのだから 読んでも 無駄です。戦地から 帰還した 若い兵隊を 内地では 情交を提供して ねぎらうのも 負けたのだから ビクトリガールと いうわけでもなく 隣室から 息を潜めて きくともなく 聴こえてしまった作者は 兵隊の 母親の 年齢に 驚く 話しだけど 会話の 軽妙洒脱なことも 愉しめた。
20年の8月つまり終戦の日から疎開とは異な話しだが、ひょんなことから太宰が近くの漁村の宿に泊まることになる。そこでは密やかに売春も行われているらしい。そして若い復員兵と宿の女中との一夜の睦事を聞く羽目になる。
太宰晩年の深刻ぶった作品には、どうしても、馴染めない。 太宰の魅力が発揮されるのは、鈍感で押しの強い図々しい相手に押しまくられながら、内心では軽く蔑みつつ面と向かっては何も言えないでいる、表面上は、せめてもの苦笑で抵抗をしめすのが精一杯で、しかし現実は圧倒されっぱなし、かろうじて人間観察の方は怠らないという醒めた客観の可笑しみを全編に湛えた、どれも愛すべき小品群だ。 その「苦笑の抵抗」が、弱者のせめてもの足掻き、というか、実のところは、単なる負け惜しみにすぎないのだが、そこがまた堪らなくおかしい。 例えば、「親友交歓」とか「黄金風景」とかが、それに該当するだろうか。大好きな作品だ。 そうそう、ほかにこんなのもあった。 不意に来訪した胡散臭い百姓女から、明らかに怪しい花を強引に勧められて断りきれず、騙されていることを十分に承知のうえで諦めて渋々買ったところ、後日、花に詳しい友人から、これは大変高価な花だぞと教えられ、そうなのか、そりゃあ悪いことをしたなと、ほろ苦い慚愧の思いとともに「図々しい百姓女」を回想するという傑出した小説もあった、残念ながらタイトルが、いまどうしても思い出せないのだが。 この「母」は、今回、この青空文庫で初めて読んだ作品だ、この作品も、あれらの脱力系に属する作品といってもいいかもしれない。 ただ、このタイトル「母」の意味するところが、いまひとつ分からなかった。 戦争直後の話か、明日は郷里へ帰るという若き帰還兵を宿泊させる田舎旅館の話だ、たぶん「お勤め、ご苦労様」とでもいうのだろうか、その旅館は若き帰還兵たちに一夜の宿を与え、さらに女性もあてがっているらしいことを、深夜、たまたま目が醒めたときに漏れ聞こえてきた会話から、隣室で寝ていた太宰は悟る。 若者の相手をしているその女性も、昼間、確か、この土地の者ではないとか言っていた。なるほど。 ボソボソと交わされる会話にそれとなく耳を傾けていた太宰だが、若者のある一言に一瞬反応する。 その部分は、こう書かれている。 《「お母さんは、いくつ」と軽くたずねた。 「三十八です。」 私は暗闇の中で、パチリと眼をひらいてしまった。あの男が、はたち前後だとすると、その母のとしは、そりゃそうかも知れぬ、その筈だ、不思議は無い、とは思ったものの、しかし、三十八は隣室の私にとってもショックであった。 「······」 とでも書かなければならぬように、果たして女は黙ってしまった。はっと息を呑んだ女の、そのかすかな気配が、闇をとおして隣室の私の呼吸とぴたりと合った感じがした。無理もない、あの女は三十八か、九であろう。 三十八と聞いて、息を呑んだのは、女中と、それから隣室の好色の先生だけで、若い帰還兵は、なんにも気づかぬ。》 好色の先生はともかく、同衾した女中がなぜ息を呑んだのか、太宰も女のショックの気配を瞬時に察している。 そして、太宰はこの小説に「母」とタイトルした。だから、というべきか。 思うに自分は、もちろんこれは、浅はかな邪推の域をでないのであるが、この女もまた、同じ年の息子を戦争で亡くしたのではないか、そして、太宰も「息を呑んだ」女から瞬時にそのことの総てを察したのではないか、息子を失った女が、お国のためのご奉公とか、慰問とか、挺身とか思ってしていたことが実は、死んだ息子と同衾することを暗に求めていたかもしれない自分の気持ちを、あの「三十八」という言葉があからさまにした、そういう瞬間だったのではないか、などと愚考した次第、やはり、いずれにしても哀話であろう。 ただ、以上のことは、この小説の魅力とは、なんの関係もない。よく文学青年とか言う俗物が得意気にひけらかすゴタクに過ぎない、言われぬうちに、まず、こちらから言っておく。 この小説の魅力は、冒頭、太宰を慕って訪ねて来たかのように設定されている熱心な文学青年を装う男の存在だ、それが実に擦れっ枯らしの食わせものであることが楽しく可笑しい。 太宰を「先生」と持ち上げといておきながら、話していくうちに、太宰のことなど一向に尊敬していないことが、言葉の端々に伺われ、そのたびに太宰はイラっとくる、その絶妙な呼吸が可笑しい。 例えば、こんな箇所。 地域振興のために地酒を造っているのだが、試しに飲んでいただけませんか、という。言葉だけは、いやに丁寧だが、無理やり飲ませておいて、「意外にうまいでしょう」と催促し、「うん、うまいね」と言わせておいてから、スミマセン、これは偽物なんです、とばらす。太宰は、どういう顔をしていいのか分からない、形無しである。 さらに、自分の所にしばしばやって来るのは、座談会にでも引っ張り出す積もりなんじゃないのかと釘をさすと、 「まさか、先生のお話しなんか聞きに来る人は、無いでしょう」などと、まるで言いたい放題なのだ。 しかし、あるクダリを読んで、今度はこちらが、イラっときた、こんな箇所だ。 「しかし、軍隊は滅茶苦茶ですよ。僕はこんど軍隊からかえってきて、鴎外全集を開いてみて、鴎外の軍服を着ている写真を見たら、もういやになって、全集をみな叩き売ってしまいました。鴎外が、いやになっちゃいました。死んでも読むまいと思いました。あんな、軍服なんかを着ているんですからね」 むかし、三鷹禅林寺の桜桃忌に参加したとき、太宰の墓をぐるり取り囲んでいた参加者は、知ってか知らずか、森林太郎の墓に足を掛けていたのを見て以来、自分の太宰熱も急速に冷めてしまった。
先生は優しい人。聖母は明るみに出してはいけない。
太宰治の短編小説は安定して面白いのだけど、今回はその中でも傑出して面白いと感じた。
母と同年代の人と寝る…複雑にして切ない。
帰還兵の一夜の契りの相手が 母親と同年令であることが 肝なのか良く分からんのです。 ただ 文学青年と 作者の虚々実々のやり取りは 噴飯もので 楽しめると感じた。
太宰の持つ、弱い者への優しさが伝わる良い短編です。 自分もこういう風情の旅館に泊まりたいですね。
少し皮肉めいた結末が愛しい。
親父も軍隊では貴様と言われて殴られたと聞いた
題名から感動ものかと期待したがそうではない。フランス映画のような作風。
『母』というタイトルから想像していた内容とは 異なっていたが 最後まで読むと そうなのかと納得しました。 さいさい、クスリと笑わされて 面白い小説でした。 人間が とても好きな人なのだと思います。