「落第」の感想
落第
らくだい
初出:「中学文芸」1906(明治39)年9月15日

夏目漱石

分量:約12
書き出し:其頃東京には中学と云うものが一つしか無かった。学校の名もよくは覚えて居ないが、今の高等商業の横|辺《あた》りに在《あ》って、僕の入ったのは十二三の頃か知ら。何でも今の中学生などよりは余程《よほど》小さかった様な気がする。学校は正則と変則とに別れて居て、正則の方は一般の普通学をやり、変則の方では英語を重《おも》にやった。其頃変則の方には今度京都の文科大学の学長になった狩野だの、岡田良平なども居って、...
更新日: 2025/03/05
65c8aadc88adさんの感想

雙之川喜1941  漱石は 自分が 変人で あると 自覚していた。そこで 変人でも 生き抜く には なくては ならない 仕事 例えば 建築家 であれば ほぼ 頼まざるを 得ない 職業なので その 勉強を 始めていた。その後 ある人から 歴史に 名前の 遺る ような 仕事が よいと 言われたので 英文で 名作を 残して 長く 名声が 刻み 付ける 仕事を 目指した けど 日本語ならば ある程度 想いを 遂げたと 告白 している。漱石は 自己を 切り分けていく 能力が 抜きん 出ている ところも すごいと 感じた。

更新日: 2016/04/09
芦屋のまーちゃんさんの感想

漱石が建築科に在籍していた時期があるとは意外だった。 かつて「天才・秀才・馬鹿」というラジオ番組コーナーがあったが、落第したから漱石が馬鹿ということにはならない。凡人でもない。秀才というのは漱石も嫌った勉強の虫であるのでもっとも違うし、そもそも秀才は落第などしない。そのプライドから寧ろできないのだ。それではやはり漱石は天才であると言える。天才は詰まらぬプライドなど持たない。仕方なく勉強すれば勉強の虫達に勝ってしまう。我々日本人からするとあまり応援したくない輩でもある。というか、応援の必要がない連中だ。根性で努力する人間が好きな国民性からすると秀才は許される。日本人ではあるが凡人でもある私には、秀才に憐れみと同情を抱く。

更新日: 2016/03/29
dacea1257e17さんの感想

自分にあっているかどうかは案外わからない。好きなら、それでいいとは限らない。他人の言う事は聞くもの