雙喜 太宰は 彼が 卒業できないことを 亡き 父親の 代わりの 長兄から こっぴどく 叱責されている。 芸術家気取りが 鳥かご 1つを抱えて うろうろしているような ところに まさに かごを 取り上げられそうになる 。その時 障子の外に 群衆の バンザイ が 響き渡り 兄の 怒りの 矛先が それた。皇太子殿下 の 御誕生奉祝の 騒ぎであった。街に出ると 朝日新聞社の 電光掲示板に 人々が 群がっていた。数千年にわたる 皇統の連続と 芸術も 永いことと 太宰が 張り合ったか どうかは 書いてないので 判らないと 感じた。07:18
今のコロナ禍での全世界にも通じるな。マスクや消毒無しに気軽に外食出来た頃に、二度と戻れないのではと、そういう不安を現に感じる。
切なくも暖かみを感じる。
登場人物たちがなんとも愛しく思えてくる作品である。大学を卒業しそこねたことで一挙手一投足にいたるまで兄に叱られる著者。そして一転、皇太子の誕生に湧く人々と、そっと眼鏡を外して感涙する兄、それを見て噴き出すのをこらえている著者。世の中に対して斜に構えたイメージのある太宰だが、この作品からは純粋な歓喜、にぎやかさが伝わってくる。
最後の一段落が非常に印象的である。 蒼穹にも届くほどの歓声をあげる国民の一体感。これは、戦前ゆえに構築されたムードであり、現在を生きる我々からは想像し難いものであろう。これはナショナリズムを鼓舞する、危うい一体感である。しかし、これだけ皆で喜びを分かち合うことができるという点に関してのみ言えば、人の結び付きの弱まった今を生きるものとして、憧憬の念を感じ得ない。 今後、我々が一体となり歓声を挙げることはあるのだろうか。
この作品の初出は昭和15年11月。国会では大政翼賛会が発足し、いよいよ戦争へと突入する前年という時期。冒頭で芸術家とはなんたるかを述べつつ、太宰治なりの愛国心の表明として過去のエピソードを紹介する。そのまま読むと時代の要請に合わせて国民を鼓舞するといった内容に見えるが所々で皮肉を忍ばせている様にも感じる。「よかった。日本は、もう、これでいいのだよ。よかった。」というエピソード中の台詞は暗に戦争を批判してるのかもなーとか思った。