「「愛怨峡」における映画的表現の問題」の感想
「愛怨峡」における映画的表現の問題
「あいえんきょう」におけるえいがてきひょうげんのもんだい
初出:「帝国大学新聞」1937(昭和12)年6月28日号

宮本百合子

分量:約5
書き出し:「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方向というものがこの作品には充実して盛られている。信州地方の風景的生活的特色、東京の裏町の生活気分を、対比してそれぞれを特徴において描こうとしているところ、又、主人公おふみの生きる姿の...
更新日: 2018/04/16
fe3c70ce7b93さんの感想

「雨月物語」で名声を上げるずっと前から溝口健二の才能に気づいていたみたいで、先見の明を感じました。

更新日: 2017/11/04
c6bb9347aef3さんの感想

作品には不満ながらも買っている、という文書。

更新日: 2016/11/26
bdd53005a915さんの感想

構築者の意図したもの。羊らは知ることも叶わず、ただ想像するのみ。

更新日: 2016/01/18
奥津棄戸明さんの感想

観てみたい気がする

更新日: 2015/06/07
9811e8383d6cさんの感想

監督の映画を見ていない私には難しい文体であった。