切なく哀しいけど自分達と、師走の慌ただしく乱雑な東京の感じとの差が良かったかな
この小説の主人公シズエ子と街角の本屋の店先で、偶然遭遇する場面の描写が秀逸で、とても印象深い。 「鳥が飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。」 実にうまい描写だ、この一文だけで、一挙にこの小説に魅せられてしまった。 このシズエ子のモデルとなった女性、林聖子さんのご逝去の記事が、先日新聞に掲載されていた。 檀一雄なども通った文壇バーとして知られた「風紋」の経営者で享年93歳だった、慎んでご冥福をお祈り申し上げる。 そして、その訃報記事にこんな記載があった。 ❮終戦の年に父と死別し、太宰が自死した1948年には病弱だった母も逝き、一人になったが、開店後は息子に恵まれ、晩年は息子がカウンターに立ち、脇に座っていることが多かった。❯ ふむふむ、小説の中では、少女の母親は、その時点(年譜によるとこの「メリイクリスマス」が書かれたのは、1947年)では広島で既に死んでしまった人として登場しているのだから、事実としては少し異なるものの、戦後の猥雑で騒然とした混乱期の中での生命力の薄れ方に、なにか共通したものがありはしないか、心を乱されるものがある。 なにしろ、小説中では、自分を理解してくれる「唯一のひと」とまで書かれているくらいの人だ、その部分についての大袈裟な誇張はあるまいと思う。 広島では多くの人が犠牲となり、その母親という人も病弱だったと記されているのだから、パーツ、パーツはどれも事実だ。 たぶん、事実に近かったからこそ、その娘シズエ子も幾分遠慮がちに書いた結果、少女の印象がとても清楚で悲しく可憐で儚げに描かれたのかもしれない。とても良い。 しかし、ひとつだけ、疑問に思ったことがある。 母親が住んでいるというアパートに向かう道々、太宰は映画の話をする、なにしろ若い娘の気を引くための適当に思いついた話題なのだから、真に受ける方が悪いのかもしれないが、娘の方も「あたしも見たわ」と言っているくらいだから、まんざら架空の映画でもあるまい。こんな感じだ。 ❮サアカスの綱渡りの映画だったが、芸人が芸人に扮すると、うまいね。 どんな下手な役者でも、芸人に扮すると、うめえ味を出しやがる。根が、芸人なのだからね。 芸人の悲しさが、無意識のうちに、にじみ出るのだね。❯ そしてまた、映画の一場面をこうも描写している。 ❮逢ったとたんに、二人のあいだに波が、ざあっと来て、またわかれわかれになるね。 あそこも、うめえな。 あんな事で、また永遠にわかれわかれになるということも、人生には、あるのだからね。❯ まあ、ここまで書き込まれているのなら、その映画のタイトルくらいは、知りたくなるのが人情というもの、さっそく調べてみた。 最初は、洋画だと信じきっていた。頭にあったのは、セシル·B·デミルの「地上最大のショウ」だった、サーカス映画の代表作といえば、まずこの作品が筆頭といわずばなるまい。 しかし、製作年が違った、1952年だという。 この作品以外に該当する作品など皆無だったので、途方にくれたしまったが、もしかすると邦画かもしれないと思い直した、その可能性はまったく考慮しなかった、固定観念の盲点だ。 頭を切り換えたら、簡単に見つけることができた。 1947年公開の松竹京都作品、タイトルは「淑女とサーカス」で、監督はマキノ正博で、轟夕起子と水島道太郎が主演とあった。 田舎者といわれるのを、あれほど嫌い、恐れていた太宰が、こういう単純な恋愛映画を見て、あんなにも素直に感激したのかと思うと、なんとなく可笑しい。
屋台の酔客が 通りすがりの米兵にかけた言葉が 題意である。 若い女性に対して 喜びそうなことを 次々口走ることは 太宰の得意技なのだろう。 それが どうしたの世界で 感心するには 忍耐が いるかもしれないと思った。
とっても面白かったです。ありがとうございました。
成長して外観が変わったシズエ子ちゃんから、声をかけたのだから、母娘は笠井(太宰)に好感を持っていたのだろう。さりげなく三皿の鰻と酒三杯注文するようなところがいいんだよね。本作品も、事実に基づいているという。ところで、アパートの室内からの音は、何だったんだろう。
母娘の色恋と思い込むあたりインテリの戯れ言として愉快だ。
太宰のタイトルの選び方にはいつも感嘆させられる。。 殊にこの「メリイクリスマス」は秀逸である。 物語の後半、このタイトルがまるでスポットライトのように映し出す現実。 そこには作者だけではない、戦後きっと日本という国の誰もが感じていた思いが、鮮やかに悲しく切りとられている。 その切りとり方に、太宰の卓越した言葉選びと文章力が垣間見える作品である。
雰囲気が晩秋みたい、沢山経験したうえ、久し振りの知人と出会っていれば、妙な感じが出てくる。色々と気づいて観察するんだろう。思い出のなかから昔の影が出てきて感慨となる。この小説がなくなられたしずえこちゃんのお母さんにたいする細やかな思い出だろう、名残が薄くても確かに昔の自分がその人と何かの繋がりがあったかなぁ。そして自分のその時の思想をも思い出した。
屋台のシーンに集約した一幕物の芝居で見たい。