ずっと、報われないことが怖かった。 いつか死ぬ間際に、生まれて来たことを後悔する終わりになったとして。 それまでの幸せも感動も朧げだとして。 私はきっと一度きりの人生に「無駄」という烙印を押してしまうだろう。 そのことがひたすらに怖かった。 それでも私はこの、苦しくて報われない、けれども愚直で美しい生き方をした半生に何よりもの価値を見い出している。 私はきっとまた、縋るためにこの本を開くのだろう。息苦しさから逃げるために。 心の底から、出会えて良かった。
逃れられない心や自身の性質を他者との交わりから書いている作品。語り口が主観的なのに、客観的に書かれているように思われるのは、繰り返された自己分析のおかげなのかも。 葉蔵は自分を人間失格と評して物語の幕を下ろしているけれど、読めば読むほど彼が人間臭い人物に思える。少なからずみんなが持っている恐怖を、とくに大きく感じてしまうだけ、触れたら壊れてしまいそうなほど彼自身が繊細だっただけで。 きっと時代が、環境が違っていたら、良い方に流されていけたのなら、彼は幸福でいられたのだろうと思った。 そしたら「普通」の人になって、きっと彼は自分を合格にできたんだろうな。 ……それができなかったしやり直せもしないから失格なんだろうけどね。
私には「人間失格」というような言い回しをするのはとても興ざめたものだと感じました。人間として生きるうえで悩み続けることを、果たして選択を誤ったとしても失格というのはとても悲しいです。※個人の感想です
葉蔵モテモテで羨ましい
2回目のじっくり読みです、私は今65歳、あとどれくらい、じっくり読めば、少しでも、追いつけるのでしょう。
名作。
普通の人間に成ろうとして成れなかった男の物語。マダムが彼を神様みたいと評しても、それは彼にとって人間失格と同義であることが皮肉。
「人間はああになっては終わり」というより「欲という感情の大切さ」が分かる作品。敵を見誤ってはいけないと感じられるような作品であった。
酒とモルヒネに溺れ今で言う精神病棟に入れられて自ら「人間、失格」。 ではその対義語だと思われるまっとうな人間はどんなもの?? それは描かれていないように思うしあえて描いていないのだと感じる。出てくる人物は十人十色、妻を犯した明らかな悪、罪人もいれば、主人公の世話をするも嘘で小さな見栄をはるヒラメは行いは一般常識で見れば善、そんな善人がしょうもない嘘をつく。 何を持って人間失格なのか。マダムは主人公を神様のようと表現する。その理由はまだわからない。
何でも疑い過ぎること、信じれないことに苦しんでいた主人公が救いとして見た、何でも信じてしまう子が信じ過ぎることによって、起こった悲劇を体験したときの絶望は計り知れないなと思った。
人の心の中には、本能と理性のせめぎ合いがある。 本能には、生命進化の大原理である「弱肉強食」に連なるエゴイズムと性欲がその中心にあり、生命共同体の一員としての理想の在り方を問う理性との共存に難義する。
人間はやはり人では無くて人間である。他者から見られる自分と、自己が認識している自分が気分悪くズレてしまい、そのズレすら性情に拠って修正できなかった人の末路…
太宰治の最高傑作です。人間の生活か見当つかない。太宰さん、私も見当つきません!。
あとがきは誰が書いたの?
初めは主人公は自分に近い考えを持ってるなと興味を持ったがそれも中盤まで。HSPなので主人公に関わる人々の不憫さが痛烈で読むのが辛くなってきた。。
人間という人間の考えや思いの多種多様を感じさせられました。どの考えが正しいということではないことを。やはり葉ちゃんは神様かも。
ビィヨンの妻とテーマは同じかな⁉️
厨二病の目指す姿。 厨二病はこの人の姿から生まれたんじゃないかって位そのまんま。 まさに厨二病入門書。 だか、本人はただの悩める天才であって、厨二病なのは平凡な俺らである。
可哀想なお話。一気に読んだ。誰にもある劣等感をことさら大きくしたお話。共感出来る。
主人公が求めていたものってなんだったのか考えさせられる。 やっぱり、人間合格かな。