子供に向けた道徳の話のようにも見えるけど、大人が犯す罪への警鐘とも受け取れる。弱者を騙して利を得る狡く悪どい大人たちはこの話を我が身に置き換えて心を入れ替えてほしいものだ。
昔は 納豆売りと 言葉をかわすようなると 辛子や刻みネギを 少しだけ 奮発してくれた。 この話 合戦とは言えないでしょうと思った。 身障者から 盗む。 泣いて誤魔化す。 償いを 自分でしないで 親に 下請けに出すからである。
途中までどうなるかと思ったが、子供達が改心してよかった。
作者の懺悔のお話でした。 子供の悪質な悪戯は、やはり大人が早く気づいて叱らないと止まらないですね。今は、周りに無関心な大人が多いから、子供の犯罪がエスカレートするのかも。 貧乏な障害者だと侮っていたおばあさんが、実は立派な人格者だったというのも深い。
誰しも悪戯はしたことがある。 その情景が目に浮かぶ。 でも、やったことは無くならないよね。。
当時の文化と人情を優しく感じさせる小品。
菊池寛の自伝みたいなものでは、子供時代の窃盗の話がある。菊池寛は、東京出身ではないので、子供時代の体験と、東京に出てきて知った納豆売りの雰囲気をうまく合わせたのだと思う。 善悪の分別がまだきちんとできない子供の感覚と、悪いことと分かった後の子供なりの反省の感覚が分かる。
タイトルにひかれて。 お婆さんがいい人でよかったね。
度を超した悪戯。犯罪であることに違いない。立派な詐欺だ。が、現代の子なら金も払わずひったくる窃盗をするだろう。昔の子は喧嘩でも「泣いたら終了亅というような暗黙のルールを守っていた。現代の子は平気で殺人事件を引き起こす。読書を「他人に考えてもらうこと」と定義した哲学者もいたが、それなら現代のインターネットなどのコンピューター社会はどうなるのか?もはや自分も他人も存在しない。思考もない。機械に操作される世界!!子供がゲーム感覚で殺人事件のスタートボタンを押す。そしてリセットボタンが無いことにやがて気付く。
子供の時のことだからさ〜 という前置きをしながらする悪事の告白は たいていロクなもんじゃない 納豆合戦なんて一見ほのぼのしたタイトルからは想像できない、なかなかに胸糞悪い内容 世が世なら、きっとネットで大炎上 食べ物を粗末にするな
ほっこりしました
少し心が暖かくなるような、懐かしいようなお話でした。