「大阪の町人と学問」の感想
大阪の町人と学問
おおさかのちょうにんとがくもん
初出:大阪における講演、1922(大正10)年

内藤湖南

分量:約19
書き出し:大阪の町人の學問については、豫て私の友人幸田成友君などが隨分精細な調べをされて、大阪市史にも載せられて居るから、私が茲に語らんとする所は、大阪の町人と學問との關係について、私一個の考察を申述べるに過ぎない。而も此等の事に關しては、懷徳堂で嘗て山片蟠桃の話をし、この次ぎに富永仲基に關する話をする約束があり、又嘗て土屋元作君が橋本宗吉に關して精しいお話があつて、此等の人々はいづれも大阪の町人學者である...
更新日: 2016/12/07
b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南の大阪町民と学問では、学問が平民によってなされる。元禄以後の西鶴、近松はそれであるが、明治以後の大阪の学問は大阪医科大学が学問の中心で、ちょうど江戸時代初期の医者が兼業で学問研究するにと似ている。今の大阪町人の学問は暗黒で無い。