「おさん」は、「斜陽」と対になっている作品ですから、先に「斜陽」を読んでおかないと、この作品の本当の意味は分からないと思われます。 「斜陽」の最終回から時を置かずに書かれたと思われますが、「斜陽」の重要なテーマである“革命”について、「斜陽」では消化不良で終わってしまった部分を、「おさん」で書き直したように読めます。 「斜陽」発表後に、誰かに矛盾点を指摘されたのか? もしくは、自分で「やはり失敗だった……」と感じて補足したのか? はたまた、計算ずくで逆説的な別な作品を書き足すことで完成としたのか? 「永遠に完成しないのに破壊する」のくだりは、「斜陽」の元になった太田静子の日記の引き写しですが、太宰は静子の書いているものとは、全く逆のロジックにしてしまっています。 そこが「斜陽」最大の破綻部分なのですが、「おさん」では、その部分を敢えて取り込んで、ストーリーに無理矢理押し込んで、「斜陽」とは逆説的なことを書いているのですから、「斜陽」の言い訳作品かな? と穿って見てしまう訳です。
ジャーナリストの自殺は 無かったことなので 反省をを求めるために死ぬと言う。 妻は 白けきって 馬鹿ばかしさに身悶えしながら 死骸を受けとりに諏訪にむかう。 出来は いまいちかなと思った。
奥さんの心の動きに同情します。 その心に沿うような生き方って有ると思いながらも、悲劇的に生きるしかなかったのが太宰なのでしょう。
女性の目線だけど書いてるのは男。理想の女性像ってこと?都合が良すぎ。と思っても読んでしまう。そこが太宰なんだよね.
夫目線だと全く違う話になるんだろうなぁ。