芥川龍之介の短編「心中」を読んでの執筆。何度も推敲したことだと思う。彼の作品に芥川が宿っている気さえした。
川端の『心中』を読んだが、掴みかね、こちらの梶井を読んだ。が、なお掴みかねている。
最近、 音に 対して 苦痛的な 反応を 示してしまう人は 一定数おり 病名を つけられるに 至る ことも 稀ではないとの 学会の 報告に 気づいた。基次郎の 文章は 幻聴に 苦しむ 男の 深層心理を 優れた 芸術作品に 昇華させ 抜きん出たものに 辿り着いたと 想った。
妻と子を捨てた男が日常の中の音に自分の娘を感じ、強迫観念じみた恐怖を覚える。俺の心臓をかき乱すからゴム毬をつくな、靴を履かせるな、瀬戸物でものを食わせるな、音を一切立てるな、ーーその通り彼女らは死に、不思議と男もその枕を並べていた。 従う母娘が哀れ。だが筆者の淡々とした文章は相変わらず好ましい。川端の原作を昔読んだ気がするようなしないような。 今さらだがこの感想の権利アプリに帰属するのか。瑣末なものだが一応文章だし今後はこっちじゃなくて今一度紙に書き付けるか……。横着したのがいけなかったなどうも。