「離婚について」の感想
離婚について
りこんについて
初出:「女性の歴史」1948(昭和23)年4月

宮本百合子

分量:約19
書き出し:結婚と離婚の問題から「家」の権威がとりのぞかれるようになって来ているということは、日本の社会の歴史にとって、実に大きい意味をもっている。「家」というものを、やかましくいう中国でも、婦人と「家」とのいきさつは、大分日本とはちがっていたように思える。中国でも昔から婦人は、娘、妻、母として「家」に従えて考えられているけれども、「家」につながれる重みの差別は日本ほど男と女との間にあって女にばかり過酷ではな...
更新日: 2016/08/30
芦屋のまーちゃんさんの感想

離婚を語る前に、結婚を語る必要があるのは言うまでもない。 結婚とは恋や愛など不透明な概念の結果ではなく、縁、前世の因縁である、と以前どこかで感想に書いた記憶がある。 基本的にはその考えに変わりはないが、 よくよく考えてみると、まさに縁だ、という客観的判断基準が存在しないことに気づく。 日本全国、否、今日では国際結婚も珍しくないので全世界中の結婚相手の中から、この女(あるいは男)こそ良き「縁人」であるなど知るすべもない。 交際期間が長いか短いかも関係しない。この相手と結婚するか否かは、直感でしかない。 憲法改正前は家のための結婚、つまり明らかにイヤな相手と結婚しなければならない暗黙の制度があったと言う。恋や愛すらなく、そこには、ただ義務しかない。 自由な結婚が認められれば、縁人に出会うチャンスは拡大する。拡大するが絶対ではないので、離婚の自由も不可欠だ。必要悪と言ってもいい。 もっとも、結婚それすらも必要悪という考えを根本的に否定できない。 独身の自由、特に女性の経済力が男性を凌ぐ場合は女性はその自由を満喫する。その反面、冴えない男は独身の義務を負う。 今日の問題はそんなところにあるのではないか?