「生きるための協力者」の感想
生きるための協力者
いきるためのきょうりょくしゃ

その人々の人生にあるもの

そのひとびとのじんせいにあるもの初出:「看護学雑誌」1951(昭和26)年2月号

宮本百合子

分量:約6
書き出し:だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。著者は四〇歳を越した一人の看護婦でした。二〇年余の看護婦としての経験と彼女の優秀な資格は、ロンドン市立病院の一人の看護婦である彼女を、人生のいろいろの場面に立ちあわせることになりました。行路病者として運びこまれた乞食の臨終に立ちあった彼女は、その優れた資質によってイギリス国王の...
更新日: 2019/03/21
5f153a539793さんの感想

70年 日本は何も 変わってない

更新日: 2018/09/22
いちにいさんの感想

誰のことか?というタイトルでした。 看護婦のことでした。 今風に言うと、看護師です。 看護「婦」という響きは、確かに献身的で犠牲の精神を持った女性を想像します。若く初々しい、と付け加えると今ではセクハラとの指摘を受けそうです。 しかし、1950年頃のエッセイで、それを否定し、指導者であり協力者であると主張してます。さすがに、女性限定の仕事ではない、とまでの意見は百合子さんも持っていなかったようですが、女性の地位向上に貢献すべき論調です。 ブラックジャックは確か病人を差別しません。条件は金があるかないかです。一見、金持ちは助け、貧乏人は助けないという構図に思われがちですが、(その意味で悪徳医者との評判)本質が違います。仮に1000万円の手術で金持ちが即座に支払う、貧乏人は親戚一同に金を借りまくってやっとの思いで支払う、とします。ブラックジャックはその二人の患者を平等な腕前で完璧な手術をします。それがプロフェッショナルというものです。 看護婦(師)はボランティアでは御座いません。権利(賃金)と義務(看護)は一心同体です。どちらかが欠けたら仕事が成立しません。 プロフェッショナルとは、同一条件(賃金)の元では男女、身分、貧富、人種、善・悪人の差別なく完璧な仕事をすることです。