人の恋を 傍観するのは 人が 天麩羅を食っているのを見て 想像するようなもので 実験してみなければ 分からないという。文章で 考え込むところは ほとんどなく 文末では 文学論が 展開されるので そこまでは 辛抱しよう。日本古来の 話法を 彷彿(ほうふつ)とさせる 軽妙で洒脱な文章と 想った。
筆致が面白くってズンズン読んでしまった。てっきりかしこまった難しいことを書く人だと思っていたから意外だった。 飼い犬のポチのくだり、「ぽっちりとした…」「むくむくした…」という擬音のたびに、頭のなかにポメラニアンが浮かぶ。実際ポチの犬種はなんだったんだろう?とにかくどれほどポチを可愛がってて和む。というか犬が好きなのかな?それだけにポチの最後の悲しさが増す。あんまりショックで暫く続きを読むのをやめた。 そして雪江さんのところがかわいらしい、芋を皮ごと食べちゃったところが最高に面白い。 途中の軽蔑してた先生ってのは坪内逍遙なのかな?「余が言文一致の由来」ではそんな素振り無かったし、内田魯庵の「二葉亭四迷の一生」を読むにほかに師はいないし、あんまり悪し様にいうから別人かと思った。 歯に衣着せないのも、自然主義かな……あくまで書いた人の主観だからね。
本人も言うように、牛の涎のようにだらだらと出来事を書いているのだけれども、どんどん感情移入して読み進めてしまう。 最も印象に残ったのが「父の死」のシーン。親の心子知らず。
二葉亭四迷の平凡は、筆者の文学者としての本音と、文学とは何か?それは空想である、作者の経験があれど、結局は空想、遊戯である、と言っている。父親の死をきっかけに母親をしたい大切するが、結婚して妻に子どもを産ませると、母親は間もなく死去した。父親が死ぬまで、女に興味ばかりもっていることを反省し、きっぱりと女と縁切りするが、やはり女の言うことは違っていた。作者は文学者になろうと言う気持ちを文中で何度も繰り返し言及している。作品の大半が女への思いを語っているが、結局何を言いたかったのか?人間としての弱さや本音は節々に言及されているが、テーマは何だったのか?平凡というタイトルは、ただ普通の人間の思い入れ考えを綴った作品だからなのか?