「平安朝時代の漢文学」の感想
平安朝時代の漢文学
へいあんちょうじだいのかんぶんがく
初出:史學地理學同攻會夏季講演會講演、1920(大正9)年8月

内藤湖南

分量:約19
書き出し:平安朝の前半期には專ら漢文學が行はれ、後半期には國文學が興つたが、此の國文學が興つたのは漢文學の刺激に依るのである。大體日本の文化は支那文化の刺激によつて發達したのであるが、然し文化を生育すべき素質は初めから日本にあつたので、此の點は他の支那に近い邦々と異つて居る。即ち朝鮮には我が假名の如き諺文があるが、少數の歌謠の外、諺文文學といふものが遂に發達しなかつた。これを公に用ふる事になつたのは日清戰爭...
更新日: 2016/12/13
b9ef941530ccさんの感想

内藤湖南は海風藻の4分の1以上が帰化人かその子孫が漢文で書き、弘法大師はシナでは、失われていた唐詩文の細かなルールを自著に書きに残した。この為シナ失われたところを補っている。日本語の五十音は梵語学の影響からきて、シナの音韻学の影響から明確に整理された。古代はい音とう音が曖昧であった。内藤湖南は概して古代音は曖昧であったと論じている。